いぬぶし秀一の激辛活動日誌

2013年12月02日(月) ありがとう!生存57年目

 昭和31年12月2日午前9時55分、東京都北多摩郡国立町の内野産婦人科病院で、「美しい、白い、可愛い(父の日記)」赤ちゃんが生まれた。

 それから、早いもので57年の歳月が流れた。様々な事件があった。そして、多くの出会いにも恵まれた。ここで、57年を一気にご紹介してみよう。

昭和31年 国立にて誕生・昭和34年頃 両親離婚(父と暮らす)
昭和40年 父再婚 昭和41年父離婚 昭和42年 父病死(伯父宅へ)
昭和45年 実母の再婚先に養子 昭和47年 航空自衛隊生徒入校
昭和51年 米国留学 昭和52年 帰国 大田区にアパートを借りる
昭和54年 起業(旅行業) 昭和60年 放送大学入学 昭和63年 本社ビル竣工 昭和63年 予備航空自衛官採用 平成2年 明治サンテオレFCでハンバーガー店2店開店 平成11年 大田区議会議員初当選(自由党) 平成12年 旅行業店舗6店舗売上20億円 平成13年9月 同時多発テロの影響で業績急降下 平成14年 廃業(個人保証債務3億円) 平成14年 議員歳費全額差し押さえ 平成14年 居酒屋開業 平成15年 大田区議会議員再選(自由党) 平成15年 イタメシ屋開店 平成16年 もんじゃ焼店開店 平成17年 自動車流通事業起業 平成19年 大田区議会議員3選(無所属)平成22年 放送大学卒業 同大学院進学 平成23年 大田区議会議員4選(たちあがれ日本 第3位)
平成24年 第46回衆議院選挙出馬 次点(日本維新の会 44,999票)
平成25年 参議院議員中山恭子公設第一秘書兼ねて選挙対策本部事務局長
平成25年 日本維新の会衆議院東京都第4選挙区支部長再任

 まあ、「かいつまんで」書くと、こんなものである。書いていて自分ながら、いやはやいろんなことをやらせて頂いたな〜と感無量である。自分には「なんでもできる」と驕っていたいた時代もあった。その自分が、まさか借金3億を背負うとは考えもしなかった。落ち込んだ。

 しかし、落ち込んで借金が減るわけでもないし、現実から逃げれる訳でもない。やるしかない!と決意した瞬間力が出た。まわりからは「借金があって、あんな明るい訳はない。偽装倒産だ」と陰口も出たようだが、かまうことはない。

 借りた金は返すな、という本が売れているようだが、私は「借りた金は絶対返す」つもりで、もがいている。3億の保証債務は、ついに1億円にまで減った。

 そして、この57年を振り返ると、常に多くの理解者、支援者がいたことに気付かされるのだ。まるで、どこかで誰かが見守ってくれているように、である。

 父は42歳で他界をした。すでに父の年齢を15歳も超えた。残り現役として働けるのは15年ぐらいだろうか。この残りの期間は、いままで「助けて頂いた」人々、社会への恩返しの時間にしようと思っている。

 長い間かけて(実に25年)、放送大学を卒業し大学院も修了(2年!)できた。だから、一流大学卒業者には、わからないことがわかるのだ。ガス、電気代が払えずに止められた経験があるから、お金に苦労している人の気持ちも、よくわかる。「わかったフリ」をしている、国会、地方議員などとは、くぐり抜けてきた「弾」の数が違う。

 しかし、今までは相当長い間「自分の為に」生きてきた。そろそろ、お返しをする年頃かもしれない、と思っているのだ。「あなたに会えてよかった」「あなたのおかげ」、そんな言葉を頂けるような人間になりたいと、誓う誕生日である。

 多くの励ましをありがとう!


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