いぬぶし秀一の激辛活動日誌

2012年03月10日(土) 航空自衛隊生徒謝恩会〜負けじ魂は永遠に〜

 今日は、航空自衛隊生徒同窓会である「碧会」謝恩会が明治記念館で行われた。航空自衛隊生徒とは、航空自衛隊の中堅技術者を養成するために昭和31年に創設された教育制度で、中学卒業の少年を4年間教育をし、自衛官にするものである。


 授業料無料(県立高校分は自費)、寮費、食費無料、給料が支給されるという恵まれた環境だった。(いや、環境は良かったが精神的には劣悪だった)

 その制度が、国の総人件費抑制策のやり玉に挙げられて、ついに昨年3月の53期生の卒業をもって廃止になってしまった。ただし、陸上自衛隊だけは、生徒出身者の将官も相当数おり廃止には出来ず、防衛高等工科学校として56期生から改編して生徒制度を継承した。

(15歳の私)
 航空自衛隊生徒は、私の頃(18期生)は一学年100名定員だったが、途中から50名となり、競争率も50倍以上という狭き門だった。したがって、各中学校でも最上位でないと合格ができなかったのだが、卒業後の進路が、入学時の成績とアンバランスなため、ドロップアウトが絶えなかった。

 普通に中学から高校にすすめば、全員が防衛大学校に進学出来る程度の成績だったはずだが、4年間の教育で防大に進学するのは100名中数名という寂しさである。したがって、バカらしくなって民間に出て大学に進学るものも多くいたのだ。(ちなみに同期生で自衛隊に最後まで残ったのは26名である。)

 そして、昨年3月17日に最後の卒業生を送り出し、謝恩会を同窓生、航空幕僚監部あげて盛大に母校のある熊谷基地で行う予定だった。ところがである。3月11日の大震災。災害派遣で在職中の生徒出身者は、それどころではない。止む無く謝恩会は中止となり、卒業式と「隊旗返還式」が身内だけで挙行された。

 哀れなのは53期生である。2学年、3学年と後輩が増えていく楽しさを味わえずに、永遠の下級生で卒業していったのだ。せめて見送ってあげたかった。

 そして、1年を過ぎ、やっと本日「謝恩会」が開催できた。自衛官として各地で勤務している「最下級生」53期生も参加した。明治記念館最大の宴会場も溢れんばかりの同窓生、そして熱気に包まれていた。


 ある航空幕僚長経験者は挨拶で「生徒出身者が航空自衛隊の中枢を担っていることは誰もが認めている。そして、若くして自衛官となった精神性は何物にも代えがたいのに、残念ながら総人件費という名目でつぶされてしまった。」と嘆かれた。

 14:30から始まった謝恩会は一部(来賓同席)が16時まで、二部(生徒関係者のみ)が17時半。そして、18期生だけの同期会を同じ明治記念館で21時まで行った。18期生の宴席には、当時の区隊長(担任の先生のようなもの)や、数少ない女性教官でミニスカ−ト姿にドキドキした現代国語と漢文担当のO教官、「教官はニッポンが好きだ〜」という名文句で授業を終わる世界史のM教官もかけつけて下さり40年前を偲んだ。


 6時間30分に及ぶ大同窓会、航空自衛隊生徒であってよかったと心から思った瞬間でもあった。

 航空自衛隊生徒のモットー「負けじ魂」は永遠だ!!!!! 


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