いぬぶし秀一の激辛活動日誌

2011年12月23日(金) 天皇陛下お誕生日おめでとうございます

 今日は天皇陛下のお誕生日である。23年前に元号が「平成」と発表された時には、何か違和感すら感じたが今では昭和のほうが、遠い昔のような感じである。

 私はと言えば、日本の伝統文化や歴史に深い造詣を持っていた父に育てられ、我が国国民の精神文化の象徴、国民統合の象徴である皇室には、大いなる親愛と尊敬の念を抱いている一人である。

 ご即位10周年の国民祝賀会では、荒天の空が天皇陛下がお出ましになった途端、見る見る晴れるという体験を身をもって感じ、20周年では、大スクリーンに映し出される画像をデジカメで撮影しようとするのだが、天皇皇后両陛下の画像だけは、明るく光って撮影できなかったという不思議も実感した。

 だからと言って、天皇陛下が現人神であると述べるつもりはないが、人間の力の及ばない不思議な「働き」が、多くの想いにより具現するのではないか、という感想を持っているのだ。

 さて、その天皇陛下のお優しい眼差しの傍らに常に控えていらっしゃる皇后陛下もすばらしい。先日、報道番組で美智子様のお優しい心遣いを拝見してテレビの前で涙した。(放映したのがテレビ朝日だったのは驚きだが!)
いくつかの例をあげる。

三宅島の噴火で下田に避難していた7歳の女の子が、皇后陛下に「三宅島の家に遊びに来てね」と話しかけた。それから、5年後、少女はそんな話も忘れていたところ公式行事で三宅島を訪問されていた皇后陛下が、突然、少女の自宅に来られたそうだ。お母さんが最初に見つけられ大慌てになったとのこと。

阪神淡路大震災の影響で花屋さんが全焼した現場に、皇后陛下が水仙の花束を捧げられた。後日、その場でその花束を見た女性経営者は、再建をあきらめていたが、奮起して再建を果たした。

東日本大震災で被災地において、お母さんを労わる障害者の子供に「えらいですね」と、お声をかけられた。天皇皇后両陛下は決して「がんばって」という言葉を被災地で使われなかった。

 等など、お二人のお優しいお人柄が偲ばれる映像だった。そして、今日のお言葉でも、被災地に想いを寄せていくとのお心遣いが見られた。

 今年は辛い悲しい一年だったが、国民一致団結、復興に立ち向かおう!被災地のガレキを持ってくるな、などとくだらいこと言ってんじゃねえよ!

 


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