2011年11月02日(水) |
議会は仕事をしているのか?@市町村職員中央研修所 |
昨日からの「市町村議員特別セミナー」の2日目である。昨晩「交流を深めたので」朝食会場では随分多くの方から声をかけられた。
本日の一講目は、法政大学廣瀬克哉教授による「地方議会の役割と改革」である。この方は、議会改革をテーマに様々な講演会や企画を作られているが、気に入らないのは「議員力検定」という試験だ。1級から3級まであって、議員としての基本的な知識を問うものだが「議員力」とは、はたして試験で計れるものだろうか?以下、講義のエッセンスである。
議会の仕事
市民の視点 *年4回の定例会の時期以外は会議もないらしい *政策はほとんど行政からの提案らしい *ほとんど原案通り可決しているらしい
議員の視点 *議案が議会に出る前が勝負 *市民(地元、関係団体ETC)と行政のパイプ役 *見えないところ(事前非公式調整)で汗をかく
以上の前提から、公開の場での議論なき意思決定は民主主義とは言わない。そして、複数の視点を議場に持ち込むことが議会ならではの役割である。議員に多様な意見があることが当たり前の議会にし、討議を通じて論点が社会に伝わる必要がある。
その意味からは、議員間討議がカギとなる。一度、理事者(役人)を議場に呼ばないで議会を開催して見るといい。質問だけの議会は、議会ではない。
議会改革に大切なことは、議員間討議であり、もう一つは反問権(役人から議員に質問すること。多くの議会で認めていない)と政策情報の共有である。役人と政策情報を共有してこそ対等に討論が出来る。そうすれば「執行部のご見解は?」などという質問はなくなる。
目指すべき議会は「修正議決が標準」となる議会だる。丸呑み議会とオール否定議会、どちらもX。議会によって政策が向上していいないし、政策を仕上げる責任を議会がはたしていない。
議会とは、自治体の政策意思を集約・調整し決着する場である。行政も要望を出す主体の一つである。行政、市民、専門家、利害関係当事者などからの多様ばインプットを議場に出して、議会での議論と議決によって集約・調整する場が議会だ。行政から出る議案は、議決要望書である。議会で議決した場合は、原案を作った役人はなくなり、議会の責任になる。
ふう、おっしゃるとおりである。しかし、行政も要望を出す主体、という言葉は、そのとおりなのだが、いつのまにか忘れていた(忘れさせられていた)もので新鮮であった。
お役人側も「どうせ原案可決」だから、と、自分たちが「意思決定機関」だと勘違いをしている。特に、23区、さらに大田区はである。
続くパネルデイスカッションでは、地域医療振興協会の折茂賢一郎氏、東京有明医療大学潤教授千葉喜久也氏が加わり「地方議員の役割・福祉医療の分野から」とのテーマで話された。折茂氏は、長年の僻地医療の経験から、医療、介護、保健をすべてまかなう重要性を訴えられた。興味深い内容であったが、次の千葉氏の歯に衣を着せぬ毒舌に圧倒され、影がうすかったかもしれない。折茂氏の話のエポックは次のとおり。
女性にとって男性は生活必需品(自分の立場を上げる+社会保障)から生活嗜好品(男性は愛される存在、かわいい男が求められる。男性の草食化)
こどもは生産財(財の回収が目的)から耐久消費財(ある期間を楽しませる存在)に変わった。
市区町村議員の数は33156人、日本の議員の平均報酬は680万円、イギリス74万円、フランス、スウェーデン0円で議会活動はボランテイア(スウェーデン国民は国家を信用し、銀を信頼している)
日本の議員は職業化してしまい、仕事を失わないために当選することが目的化し、次回の選挙を意識した活動になってしまう。それだからダメbなんだ。
日本では8割の方が病院で亡くなる。それは、食事も出来ない人にチューブで栄養を送って生かしているからだ。外国では4割程度が病院で亡くなりその原因の9割が食事が出来ないことによる餓死である。チューブを着けた人生が楽しいだろうか。
そして「老いることは楽しむこと。耐えることではない」と結ばれた。有意義な2日間を終え、昼食も取らずに大田区役所へ急ぐ。14時から、「意思決定機関」とは程遠い、区議会都市環境委員会が開催され、相変わらずの委員会に自己嫌悪になってしまう。
そういえば、千葉講師が語っていたっけ。「4期も5期も議員やっているヤツはバカだ」と。嗚呼、バカの仲間入りをしてしまった‥
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