いぬぶし秀一の激辛活動日誌

2011年07月03日(日) こんなヤツでも大臣になれる民主党政権!

 こんなヤツが大臣になれるんだ、と多くの国民がテレビの映像を見て思っ
たのではないだろうか。松本龍復興担当大臣の本日の被災地での発言だ。

松本大臣「国は進んだことをやっている。(被災自治体は)そこに追いついてこないといけない。知恵を出したところは助けるが、知恵を出さないやつは助けない。そのくらいの気持ちを持って」と述べた。また、「九州の人間だから、東北の何市がどこの県とか分からない」と冗談めかして話した。(達増岩手県知事との会談で)

宮城県庁では、応接室に後から入ってきた村井嘉浩知事に「お客さんが来る時は、自分が入ってから呼べ。しっかりやれよ」と語った。被災した漁港を集約するという県独自の計画に対しては「県でコンセンサスをとれよ。そうしないと、我々は何もしないぞ」などと厳しい口調で注文をつけた。

 バカである。何様だと思っているのだろうか。民主党は「地方主権(この言葉は嫌いだが)」を標榜していて、この「中央集権国家」発言である。言葉遣いの礼儀も知らない。話にならない。

 以下のインターネットの「生い立ち」を見れば、まあ、バカなぼんぼんで仕方ないと思うが、家の中(民主党内)でバカなら問題はないが、被災地の人々にバカだ大臣では迷惑千万である。まあ、この体たらくなので、そのうち辞任に追い込まれるだろうが‥

 以下、インターネットで検索した、松本坊やの生い立ちである。

福岡県福岡市出身。部落解放の父と呼ばれた松本治一郎の養孫。実家は養祖父の代からのゼネコン・松本組。自身も顧問を務める。

福岡市立馬出小学校から福岡市立福岡中学校、福岡県立福岡高等学校を経て中央大学法学部政治学科卒業。1980年、父松本英一(参議院議員)の秘書となる。

政界にて1990年の第39回衆議院議員総選挙に日本社会党から出馬して初当選し、以後7回連続当選。1996年、社民党を離党して旧民主党結党に参加。部落解放同盟副委員長であり、人権擁護法案の推進派である。日韓議員連盟常任幹事。国鉄労働組合のJR採用差別闘争に連帯している。

2000年10月17日、実家の松本組を継いだ実弟松本優三の自宅玄関ドアに約5発の銃弾を撃ち込まれる事件が発生した。

2008年度の国会議員の所得公開で国会議員でトップの8億4366万円の所得を得ていたことが伝えられている[3]。

 同和問題に関わり建築業で財を成したご実家で育てられ、親父の秘書をやり、社会党から立候補して当選。世の中の苦しさなど知らずに今日まで来てしまったということだろう。


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