いぬぶし秀一の激辛活動日誌

2011年06月04日(土) 気仙沼支援最終日、ありがとう!

 早いもので今日で医療救護班の私のシフトが終わる。被災地の多くの人々の温かさと、その再建を応援する多くの善意に触れることが出来て大変意義深く、もう一度、いや何度でも来たいと思う。

 さて、今日もいつもと同じ午前5時半起床。6時朝食。7時宿舎出発という段取りである。最後だと思うとたった5日でも名残惜しいものだ。

 今日は午前中は車を使う診療所開設がないので、さてさて何をして過ごそうか、と考えていたのだが甘かった。東京都医療救護班は、一人のマンパワーも無駄にしないのだ。

 都の課長さんから「いぬぶしさん、ワクチン接種の手伝いしてください」と、お呼びがかかった。さっそく、気仙沼市の担当者に「指示を仰ぎ」に出向いた。接種に来場した高齢者の動線誘導をお願いしたい、とのこと。「こき使ってください」と応じると、リーダー格の女性職員さんが「任せてください!こき使いますから」と、冗談まじりに答えた。実は後刻、この言葉が本気だったと知るのだが‥

 高齢者の肺炎球ワクチン予防接種は、大田区でもその接種費用助成(70歳以上5歳きざみ一人4000円)を行っているが、今回の気仙沼市の接種は、65歳以上の高齢者が無料なのだ。

 午前10時から11時までの受付と聞いていたので、しばらく車で休憩をしていると9時半前に課長さんが飛んできた。「いぬぶしさん、すでに始まります。急いでください。」と。えええ!随分早いじゃないの。

 あわてて受付場所に行くと、すでに50人以上が並んでいる。10時開始も30分早めることになった。最初のころは確かに「こちらへどうぞ!」などと交通整理をしていたが、受付の市職員は一人。兵庫県から応援にきた保健師二名は予診票の記入指導で手が回らない。

スタートしたころの会場(まだ余裕があった)

 いつのまにか、受付の机に移動していた。兎に角、殺人的な忙しさである。一緒に「戦う」市職員さんは、予診票のナンバリングと「避難所か自宅か」の聞き取りで、それ以外には手がまわらない。

 私の仕事は、当初の高齢者の誘導のほかに、1.予診票に日付印を押すこと、2.使い終わった体温計を消毒すること、が加わった。と、ところがである。記入を終わった予診票は、診察室手前の箱に入れるようになっているのだが、あまりに人があふれて、通路がふさがれ高齢者では、到底その場所までたどり着けないのだ。

 そこで急遽、私が「書き終わった予診票をお預かりします」と怒鳴って歩くことにした。回収したものを、私が人ごみをかきわけ届けるのだ。ところが、ここでさらに仕事を増やしてしまった。保健師さん2名が、書き方の指導をしているのだが、人、人で到底こちらもマンパワーがたりない。

 そこに「予診票回収係」の私が歩いているのだから質問の嵐である。また、氏名欄には名前が書いてあるものの、ワクチン接種の希望書(同意書のようなもの)への署名のないものが多い。結局、受け取った予診票の内容までチェックせざるを得ないことになった。

午前11時の同じ場所(どうにもならない!)

 その結果、午前中接種者354名、終了時間13時。午後の接種者178名。合計532名の接種の受付業務を担当させて頂いた。立ちっぱなしと走りっぱなしで、いやはや疲れたのなんの。

 戦友だった市役所職員さんから「東京都さんは、マルチで助かったわ!」と、お褒めの言葉を頂いたが「都職員ではありません」とは、東京都職員の名誉のため言わなかった。東京都の職員は頑張る、と思っていただいたほうがせっかくならいいではないか。

 午後2時半ごろには接種業務が終わり、本来業務の運転に移行。明日からのシフトのため気仙沼入りした職員さんと都立病院の医療チームを乗せて避難所の下見引き継ぎだ。人数が多いので、いつも乗っているノアではなく、ハイエースのロングワイドボデイという、なんとも大柄な車両での出発だ。

 普通の道路なら何ら問題はないが、未舗装の狭隘道路でガレキが散乱している被災地を、このバカでかい車で走るのはいささか勇気が必要だ。まあ、それでも無事下見も終了。

 そして、もう何カ月も行っていたように、夕方のミーテイングのマイク係をこなし、ゴミを捨て、ロールカーテンを降ろし、気仙沼での業務を終了した。
たまたま、一通のメールの情報から参加した、極めてコアなボランテイアだったが、本当に多くのことを学ばせてもらった。

 普段、議会では親の仇のようにその「非常識」ぶりを指摘している公務員、との同じ人種が、被災地では勤務時間を忘れて被災地のために奮闘している姿を身近で見ることが出来た。(管理職を含め残業手当はなし)

 また、公立病院の経営的視点を訴えてきたが、そのことにも自ら疑問を感じた5日間であった。気仙沼の医療救護班に集った医師や看護師、薬剤師のほとんどが国立、都道府県立、又は公的機関の所属なのだ。(無論、私立総合病院のチームもいたが)

 経営効率だけ考えれば、人員は最低限に絞って効率的経営を図ることが、民間感覚の経営である。しかし、このような震災時などに柔軟に人材を提供出来る体制を取るためには、それでは無理が生じる。

 反面、そのことを民間病院に期待するのはこれまた厳しい。その意味からは、公立病院は単に病院経営という視点だけで考えてはいけない、と被災地現場での彼らの献身的な活動を身近に見て痛感した。

 また、東京で庁舎のデスクや議場で「偉そう」に防災対策を語ることが、いかに陳腐なことかも考えさせられた。来週から始まる区議会第二回定例会。この体験を語るいいチャンスだが、あえて「質問通告」をしなかった。

 それは、私が今回体験したことは、帰京後、数日で考えて質問したり提言したりする程中途半端な事ではなかったからだ。自分自身の人生観、公務員の在り方、など考えるべき命題を自分の中で解決しなければ、到底、防災対策への議論に辿り着かないのだ。

 ヘトヘトに疲れながら、最後の任務である宿舎への送迎50キロをこなし、宿舎の部屋から荷物を持ってエレベーターに乗った。すると、一緒に乗った若人の防災服は私のそれと同じ。腕章には見慣れた「大田区」の文字が。なんという偶然。気仙沼に来て以来、どこかで「大田区」の文字が見えないか、と思い続けていたら最終日の最後に出会えた。

 東京都の職員にバレないように「ご苦労さんです。区役所で一番嫌われている議員のいぬぶしです。」と、名刺を出し挨拶をした。若い職員さんは、ビックリして大慌てであった。驚かせてすまん!聞けば、大田区保健所の職員さんだと言う。大田区も頑張っているな。お疲れ様!

 行きは、バスで移動したが、今回帰京するメンバーが6名しかいないため、ありがたいことに新幹線を用意してくれた。東京都職員と都立病院医療チームと、最終の新幹線で東京駅に到着まで防災対策、公務員とは、など熱い議論を尽くした。無論、車内販売のお姉さんに嫌がられるほど「すいません!スーパードライもう1本ください!」と、叫びながら。

 深夜12時、やっと地元六郷にたどりつくと、私が著作権者の許可を得て千枚作った「がんばろう日本」シールを着けた若者が商店街のいたるところを歩いている。実は今日、地元の若人の有志が同じ地名の「仙台市六郷地区支援祭り」を企画し、そのボランテイアスタッフが、このシールを着用しているのだ。その心意気は素晴らしい。



 きっと、反省会で遅くまで盛り上がったのだろう。お疲れ様!現地で今必要なもの。それは、救援物資やお金ではない、マンパワーだ。どうか若い方々で時間が取れる方は、是非とも現地に赴いて欲しい。1日でも2日でも。現地の方々の支援もさることながら、自分自身の人生にもきっと大きな力になるはずだ。




 今回の支援活動では、素晴らしいメンバーと仕事が出来たこと、貴重な時間、体験を共有出来たこと、さらには、被災地の多くの優しさ、元気に出会えたこと、心より感謝申し上げたい。

 復興支援のつもりが、実は被災地の皆さんから、大きな人生の指針と元気を頂戴しての活動であった。すべての被災者の皆さんの早期生活再建を心より願ってやまない。

(参考)
気仙沼市災害ボランティアセンター

・住所:宮城県気仙沼市東新城二丁目2-1

・電話番号: 080-5949-7475

 


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