いぬぶし秀一の激辛活動日誌

2011年04月23日(土) ありがとう、名も知らぬ多くの支援者のみなさん!

 今日で選挙戦は最終日である。午後8時をもって拡声器を使う選挙活動は修了となり、その後は電話かけや、個人演説会のみが本日の深夜0時まで可能である。

 我が陣営は、16時半から事務所前で「打ち上げ」を行った。近隣のみなさん、自衛隊の同期生など多くの方が最後のお訴えを聞いてくださった。そして、終了後地元を街宣した後、蒲田駅東口へ向かった。

 今回の区長選挙では、私は現職区長以外の方がいいと思っている。そのなかでも、ベストの選択ではないが、ベターな選択として、前の議長である永井敬臣さんを応援していた。彼が最後のお訴えを蒲田駅東口で行うというので、その前に駅前でロングラン演説をやることにしたのだ。

 蒲田駅到着が午後6時40分。これから7時半まで約50分、一人舞台である。宣伝カーの屋根上に水とのど飴を用意して始めた。蒲田駅前の演説は、いつ、どの選挙でも大好きな場所だ。必死に訴えていると聴衆が1人ふえ二人ふえ、そしてその方々の視線が「とりあえず聞く」から「真剣に聞く」に変わっていくのが実感できるからだ。

 今日の最後のお訴えで話したことは、

1.地方議会とお役所、首長の馴れ合い政治、言い換えれば八百長を是正するために力を貸して欲しい。

2.皆さんからお預かりした議員バッチ、議員報酬は誰のためのものなのか?政党のために議員をやっているのか?区長のために議員をやっているのか?自分自身のためか?そうではない!議員バッチを皆様から4年間お預かりする意味は、区民の皆さんにかわって区政を監視すること。そのためのバッチであり、報酬であることを忘れてはいけない。

3.私は昭和47年、15歳で少年自衛官に任官されたときの「服務の宣誓」文をいまでも有効だと思っている。それは次のようなものだ。

私は、我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもつて専心職務の遂行に当たり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います。(演説では中略)

 そして、最後に、これからも、航空自衛隊予備自衛官であることを誇りに思い、「身をもって責務の完遂に勤める 」ことをお誓い申し上げた。

 永井氏の演説が始まったすぐ後、見計らったようにライバルである若い候補者が宣伝カーで絶叫しながら蒲田駅東口に入ってきた。駅前は、双方のスピーカーの音で騒然としていた。永井氏が先にマイクをおいた。

 信号待ちをしながらも、がなっている若い候補に私がマイクで諭した。

 「○○候補!若いから何をやってもいいといいうことはないぞ!礼儀をわきまえろ!」彼のスピーカーから音は消え、聴衆からは「そうだ!」という声と拍手がわいた。

 せっかく若さを売り物にしているのに、残念である。若さ=社会性の欠落=経験不足というい風に取られる一幕だった。

 午後8時、いずれにしても、戦いは終わった。区長選挙、区議選挙、明日の有権者の審判を待つことになる。

 しかし、本当にいい選挙をやらせて頂いた。準備段階から、あまりの多くの善意と励ましに支えられた。また、ここれほどまでに「自衛隊」が評価された社会環境の中での選挙も初めてだった。

 支援者の方が事務所に手作りの標語を貼ってくださった。曰く

「火事は最初の3分間。選挙は最後の3分間」というものだ。

 最後まで手を抜くな、ということだろう。しかし、これほどまでに素晴らしい戦いをさせて頂いて「落選」したら、私は当選する方法がわからない。それほど、素晴らしい心に残る選対の方々だったし、多くの見も知らぬ応援者に出会った。

 当選後は、公職選挙法の規定で「ありがとう」と言えないので、今日のうち。ご声援ありがとう!!!!


***公職選挙法に則り、本日記は4月30日にアップした***


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