いぬぶし秀一の激辛活動日誌

2010年08月06日(金) 謝罪しない米国大使@広島原爆慰霊式

 戦争というのは、どこの国にとっても「正義」であり、どのような理由をつけてもその行為は「悪」である、と言ったら言いすぎだろうか。さらには、歴史認識もそうだろう。500年もたった後の歴史学者が語るのならいざ知らず、近代史でれば、国によって認識が違うのは当然のことだろう。

 今日は、65年前、広島市に原子爆弾が投下された我が国にとって見れば「憎しみ」の日である。投下から今日まで26万人の方々が亡くなっており、
長崎の75000人を加えると、33万5千人もの日本人が虐殺されているのだ。当然、その多くは国際法で禁じられている「非戦闘員」である。

 東京大空襲もそうだ。東京周辺に焼夷弾を落とし逃げ場をなくしてから、中心部にさらに焼夷弾を落とす、という正に非道な「焼き尽くし作戦」である。
当然、これも国際法違反で、裁かれるべき案件である。

 が、戦勝国の正義は敗戦国に正義に勝るのは、いつの時代も変わらない。日本は極東軍事裁判という「罪刑法定主義」という法の基本原則を無視した茶番劇のリンチにより裁かれてしまい、多くの指導者がA級戦犯という汚名を背負って刑死されたのだ。

 そして、後世の我が国の指導者たちは、いつまでたっても「謝罪」をやめない。正に、連合国の「ウオー・ギルト・インホメーション(日本悪人情報作戦)」が成功したようである。

 本日初めて、米国政府代表者たる駐日大使が慰霊式の列席された。そのことは歓迎をするが、日本の総理のように謝罪の言葉はおろか、原爆投下についてのコメントすら発しなかった。これが、国際社会の「国家」であり、「国家」を背負った戦争は、「正義」なので謝罪はしない、という感覚なのだろう。

 もうすぐ日韓併合100周年の日ばやってくる。左翼市民運動家の菅総理は、この日まで韓国を刺激したくない、との配慮で防衛白書の公表を延期した「腰抜け野郎」である。きっと、村山談話より踏み込んだ「反省と謝罪」の言葉を述べるのだろう。

 であれば、米国に対しても「広島・長崎・東京・大虐殺」の謝罪を求めるべきである。それが、国際政治であり、独立した国家のすべきことである。

 悔しかったら、8月15日に靖国神社に来てみろ、てんだ!!!

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