2010年06月30日(水) |
防衛問題セミナーbyハイチ派遣国際救援隊長 |
今日は朝から「たちあがれ日本」の政党カー(正式には確認団体車)に乗って埼玉県方面に街頭宣伝に出かけた。運転手2名ウグイス2名、そして弁士は私だけ、という陣容である。
赤羽駅前、十条駐屯地、練馬駐屯地、朝霞駐屯地、大宮駐屯地、大宮駅、浦和駅と降りては我が党の政策を訴えた。各駐屯地前では、いかに民主党の安全保障政策がいい加減か、現職自衛官の票を二分するために民主党が元陸将補を比例候補に擁立しているが、この方の能力や性格ではなく「民主党にだけは投票してはいけない」と訴えてまわった。
大宮駅前でも結構立ち止まって聞いてくださる。嬉しくなってさらに必死にしゃべるのだが、一瞬「俺は、なんで大宮でしゃべっているのだ‥」と我に返る。
懐かしい浦和駅(なぜか卒業証書の高校は北浦和にあった)での街宣を終わり、街宣車から離脱して大急ぎで大井町に向かった。18時から、ハイチ派遣国際救援隊長の講演会が行われるからだ。
長男は50日間ハイチに派遣されたが、さっぱり現地のことを話してくれない。やむなく、隊長の講演で少しでも息子の苦労を偲ぼう、との親バカである。以下、山本一等陸佐の講演の一部である。(文責は、すべて私であり、記憶とメモによるので、適切でない部分はご容赦を)
現地に着くと、ありんこと蚊でひどい目にあった。地べたに寝ているので、ありんこが刺していくし、朝起きると、皆顔中蚊に刺されていた。日本から蚊取り線香を持参していたが、ハイチに蚊にはまったく効かなかった。やはりキンチョウは日本用だ。
毎日、日本から持参したレトルト食品を食べていたら、ウンコが出なくて困った。繊維が不足してたのだろう。現地の人が哀れに思って、大量のマンゴーを差し入れしてくれた。おかげで繊維が取れて、皆、快便になった。いったい、どちらが被災者だか、という一幕だった。
風呂は数週間は入れなかった。予想してたので、隊員には「濡れテッシュを大量に持参せよ」と指示しておいたら、宇都宮駐屯地周辺にスーパーで、濡れテイッシュが品切れになってしまった。現地では、隊員みんな臭いから、誰も気づかなかったが、NHKの取材班が現地入りして「隊長臭いですね」と言われて初めてわかった。
治安は安定している、と言われていたが、日本での安定とは違う。毎晩銃声が聞こえるし、銃は2、300ドルで誰でも買える。私も出かける時には弾倉にタマを装填して出かけた。ハイチが復興すrにつれ、ギャング団も復興してきた。
ハイチに私自身が派遣された結果、中央即応連隊には、副連隊長と1個中隊しか残っていなかった。これだけ隊員が世界中に出ている以上、ハイチ派遣中に何人かの部下が世界のどこかで殉職するかもしれないと危惧をしていたが、全員無事で安堵している。
ハイチ派遣隊員には「二度と帰らない」つもりで頑張れ、と言っていたが1ケ月半で風呂が出来たら「もう帰るのですか?日本での訓練のほうが厳しかった」と語ってくれた。
現地では、毎週1回フオースコマンダー(多分、国連の指揮官)と各国指揮官との会議がある。そこでは新たに任務に加わった国の指揮官が紹介される。我が自衛隊は、ハイチに初めて派遣された「工兵部隊」として「よくぞ太平洋を渡って来てくれた」と大歓迎の拍手を受けた。2週間後に他の国が到着したが、拍手はさほどではなかった。
日の丸を意識しながら、日本人の誇りを持って任務を出来たことが、とても嬉しい。
我々は、世界で考えられる9種類の予防接種を受けており、明日にでも、世界中のどこにでも派遣できる状態にある。
講演には現地での映像がスクリーン一杯に映し出され、現地での隊員の活動も紹介された。一瞬、大画面に長男がパソコンに向かって仕事をしている姿が映り、最前列の席で「あ〜!」と叫んでしまった。相変わらず、子離れ出来ない親バカである。
1次派遣隊の皆さん、ご苦労様。そして、現在もハイチに派遣されている派遣隊の無事ご帰国を祈る。
(本稿には、民主党に不利な記載があるため、参議院選挙終了後アップした) にほんブログ村
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