2008年09月19日(金) |
報復人事?いえ適材適所ですby大田区長 |
(犬伏秀一 代表質問全文) わが国の官僚制民主主義を、政治主導に戻すと手をあげた小泉政権。そして、その路線を踏襲し、さらに戦後レジ−ムからの脱却を訴えた安倍政権。私を含め、わが国の将来を憂いる多くの良識ある国民が安倍総理大臣に大いなる期待をしたのも束の間、あまりにあっけなく崩壊したのは、誠に残念至極でありました。その後誕生した福田政権は、せっかく「フツ−」の国になりかけたわが国を、また、妥協の国家、官僚の言いなり国家へと逆戻りさせてしまったことは、その支持率が物語っております。同じ政党のリ−ダ−の方向がこうもコロコロ変わったのでは、国民はその政党を信ずることはできません。 小手先の戦術ではなく、わが国の進むべき道筋、ビジョンを示したうえでの戦略から、それにいたる戦術を国民に示す司令官があまりにも少ないのは残念なことです。そのことは、民主党においても同様です。小沢一郎代表の豹変ぶりに、大いなる疑問を感じるのは私だけではないでしょう。ご本人の公明党大田代表の選挙区へお国替えとの報道などは、戦術に頼りすぎ戦略なき政党と言わざるを得ない愚行であります。そのような劇場型政治ではなく、堂々と政策で対峙すべきが2大政党制の本来の姿であります。自由民主党の次期総裁には、ぶれることなくわが国のすすむべき姿を、そして、国家としての在り様を明確に示せるステ−ツマンの就任を強く望むものであります。ころころ変わる国の官僚の政策、すぐさま政権を放棄する総理大臣など、無責任な国の体質は、地方自治体の仕事量を増大させまったく迷惑千番なことでもあります。 それでは、わが大田区はどうでありましょうか。 松原新区長をお迎えして1年余りがたち、新政権について区役所内外で様々な評価がされていることは、区長はじめ理事者、議員の皆さんもお聞き及びかと思います。特に大きな驚きは、報復人事ともいえる人事異動の多さであります。 旧政権で中枢にいた参事級職員の多くは、閑職か大田区以外に転出をさせられてしまいました。また、いくつかのポストが新設され、ここには旧政権からは距離をおいていた人々や一部のグル−プに属する方々が就いたのは誰でも知っている事実であります。 勿論、政権交代の後は、米国大統領のように極端でないにしても、ある程度の人事異動は常套であることは理解できます。しかしながら、この1年間の人事は異常でありました。 私は、旧政権で冷遇をされ、現政権で要職につかれている何人かの方が、酒の席で「いかに旧政権で冷遇され辛かったか」を、涙ながらに語った場面に遭遇したことが何度かありました。男としてなんとも情けない姿であったし、いかに酒席であろうとも、あまりにも哀れむべき姿でした。確かに、そうでありましょう。辛かったでしょう。が、だからとて、同じ思いを他人にさせるのは賢者の採りうる道ではありません。 大田区OBが管理職に就くのが慣例の社会福祉法人の理事長更迭を巡っても、同様のウワサが流れておりますし、現政権幹部による、旧政権中枢の方の再就職先に対しての辞職要請とも取れる言動も風聞聞くところであります。さらには、議会同意が必要な特別職に対し、同じメンバ−が辞職を要請する恫喝とも取れる言動があった、との情報も流れてまいります。いずれも、にわかには信じがたい行為であり、ガセネタであろうと信じたいのですが、火のないところに煙はたたないと申します。はたして事実はどうだったのでしょうか。 住友銀行から関西銀行に出向して、頭取として見事再生に成功した伊藤忠彦氏は「宇宙の進化の気流」ということを説いておられます。それは、人々、社会のためになることが「天の配材」により必ずうまくいき、それに反することは、いつか崩壊するということだそうです。彼が就任するまで、関西銀行は「稼げる案件」「担保が硬い案件」だけに融資を集中していたそうです。が、結果は地銀でワ−スト3、破綻寸前。そこで彼がとった戦略は「この融資は人々のためになるか」という視点だったそうです。なんと、その方向転換で6年後にはこの銀行は東証1部に上場を果たしているのです。 氏は「出世自体を目的にしてしまうと、善悪の違いもわからなくなり、人を裏切ったり、収益増大のために周囲の人々に迷惑をかける」と断じています。その結果、会社にとって役に立つこと、自分の出世にとってプラスになることがすべての判断の基準になる、というのです。こうした考えは、人生の100%が会社や役所という人にありがちだ、とも述べています。 さて、このような視点で大田区のこれまでの人事を見てみると、はたして宇宙の進化の気流や宇宙の摂理にあっていたでしょうか。あえて私は「否」と申し上げたいのです。勿論、人事は首長の専決事項であります。そして、誰一人心から信じられる味方なしに、突然、区役所の外から飛び込んできた新区長には、旧政権の重鎮は「敵」に思えたのかもしれません。 確かに旧政権の人事は様々な意味でとても厳しいものでした。だからこそ新区長には、ロイヤリテイ−や新旧どちらか、という視点ではなく人事配置を考えていただきたかったのです。 区役所で課長なのか、部長なのか、そんなことは100年後には何の意味を持たないことは誰もが知っています。それよりも、自らの良心とSomething Greatさん、すなわち宇宙の摂理に恥じない生き方を私は尊敬するのです。 そこでおうかがいいたします。過去1年余りの間に行われてきた人事異動につき、どのような価値判断、基準で行われてきたのでしょうか。そして、それは区長ご自身が判断されてのことでしょうか。 また、社会福祉法人池上長寿園の田崎前理事長に対し、野田副区長、遠藤経営管理部長、森総務担当部長が「辞職」を迫ったところ、「理事会マタ−」だと突き返され、区OBの嶋理事をもってして「理事長解任動議」を出させた、との情報があります。実際、この嶋理事は「経営管理部長から強い要請があった」と周囲に漏らしています。区長はご存知でしょうか。 区執行部の意思で新理事長に就任された区OBは、インタ−ネット上では職員と思しき人々から「仕事をせずに読書三昧」「朝礼では、仕事に関係ない経済批評ばかり」とネット上で批判されています。はたしそうなのでしょうか。 さらには、加藤代表監査委員に対しても遠藤経営管理部長が酒の席で、野田、秋山両副区長が区役所内で、それぞれ辞任を強要したと聞いております。監査委員は地方自治法第197条の2の定めにより、職務上の義務違反、非行があると認められた場合で、議会における公聴会を開催したうえでなければ意に反して罷免されないのです。特に、議員選出の委員ではない識見を有する者としての、加藤監査委員への辞任強要は、区政への監査制度を蔑ろにするものであると危惧するのです。両副区長は、松原区長のご指示だと言っているそうですが、まさかそのようなことはないと思いますが、区長いかがでしょうか。 我々議会が同意した、細嶋前教育長の辞表提出も同じような経緯と聞いています。百歩譲って、区長が推薦し議会が同意した人事につき、政治的判断から辞任を要請するとしたら、区長自らが礼を尽くしてお引取り願うのがわが国の礼儀作法のしきたりであろうと思います。それを、元の部下であった者が辞任を迫るとしたら、あまりにも僭越、役人である以前に人として悲しくなってしまいます。区長の意思でしょうか。この方々は「区長にキズがつく」ことを理由に、辞任要請を区長に代わり行っているとのことですが、まったく筋違いだと思うのは、私だけではないはずです。 区長!私は、様々な会合を通じて都議会議員だったあなたと交流をし、最後の都議選では地元の演説会で応援弁士も勤めました。自民党の区議会議員の支援がほとんどない中、あえて応援をさせて頂いたのはまさかお忘れではないと思います。しかるに、その新区長の人事政策がこのようなものであるとしたら、誠に慙愧に耐えないのであります。 本当にあなたのマニフェストを実現するのに、田崎さんが、細嶋さんが、加藤さんが、さらには、区から遠ざけた参事級の方々が必要ないのだとしたら、民間出身の区長として礼を以ってその意を伝えるべきではなかったのでしょうか。そのことが、立派なリ−ダ−として評価こそされ、決して区長の権威にキズなどつけることはないでしょう。 区長、私はさる8月19日に行われた大田区倫理法人会800回記念講演会でのあなたの講演を聞き、深く感銘をいたしました。当選直後の同じ会場での講演を拝聴した時と、まったく違い、自信と内容に満ち溢れていたからです。どうか、その自信とリ−ダ−シップをあらゆる場面に発揮をしていただきたいと思うのです。 私は平成13年、会社を倒産させるまで、一坪でも大きな家に住むこと、1メ−トルでも大きな車に乗ることが幸せだと信じ猛進してまいりました。ところが、それらが一瞬にして崩壊したとき、そんなものは何の意味を持たないことを知らされたのです。一番大切なこと、それは宇宙の摂理に従うことであります。私は特段宗教を信じているものではありませんが、我々人間には及ばない大きな力、Something Greatさんの存在を信じています。それをあえて宇宙の摂理と呼びます。 どうか、迷われたら、取り巻きのお役人の言葉より、この天の声に耳をかしてください。今、この数年間で、出世するとか、いくら儲かるとか、そんなことは地球の40億年余りの歴史の中では些末なことです。どうせ50億年後には太陽はなくなってしまうのですから。 いささか、神がかり的な話をしてしまいましたが、どうか、心のどこかにお書きとめいただきたいと思います。5000名の組織を活かすも殺すも、リ−ダ−次第です。知らぬうちに裸の王様にならないよう、敢えて苦言を呈するものです。 そして、今までの私の質問には、どうか区長ご自身がお答えください。区長の身の上を心配する副区長の言葉では説明できないものであります。どうか区長、金正日やヒットラ−にならないためにも、ご自身の言葉でお考えをお聞かせください。 次に、現在4つある地域行政センタ−についてお尋ねいたします。大田区職員の本音が見えるインタ−ネット2チャンネルの情報によれば、この4行政センタ−は来年4月から廃止の方針がすでに決定している、とのことです。旧政権時代の最も大きな組織改正が、このセンタ−制でありました。それぞれの地域事情にあわせて、本庁舎まで持ち込まないでも現場で判断できる、ことをスロ−ガンに出来た制度でしたが、実際には管理職の人数が増えただけで、案件を区役所本庁舎に持ち込む構図が多く、屋上屋根を作る組織であった、との批判も相次ぎました。そこで、では廃止というのは、あまりにも乱暴な方法だと考えます。ましてや、西行政センタ−はその機能向上の理由のもと新築をされたばかりでありますし、今定例会に上程される交通事業本部が入居予定の民間ビル賃貸も、南センタ−が廃止されるとすれば、無駄な出費と言えましょう。 当初想定していた本来の地域行政センタ−としての権限と役割を明確にし、その実効性を高めることこそが、継続性ある行政のすべき仕事であると思います。それとも、先ほど来申し上げていた「旧政権のものは、すべてぶっ壊す」行動の一貫なのでしょうか。もしそうなら、大田区役所がナチスドイツか北朝鮮と同様の意識構造に陥ってしまった証左と言わざるを得ません。ナチスは敗北し、そして北朝鮮金正日体制もいずれ崩壊をすることは自明であります。異常なまでの中央集権は崩壊する、このことは歴史が証明しています。 この程、各行政センタ−を廃止しようとする具体的理由、さらには、その後の各地域で代る組織を作るおつもりなのか、地域力を標榜する松原区長にとって、地域行政センタ−の活性化のほうが、よりお考えにあっていると思いますが、いかがでしょうか。 次に大田区の公立学校における諸問題につきおうかがいをいたします。 昨年に続き、全国学力検査が実施され、その結果が各教育委員会、学校に配布をされました。しかし、大田区教育委員会はこの結果については公開をしないとの態度を所管委員会で表明をされました。その際、教育長は「結果を公開した場合、地域の町会長たちのリアクションが心配」と理由を述べられました。これは民は愚か、お上たるお役所は賢いという愚民行政の考え方で到底納得できるものではありあません。 鳥取県教育委員会では、教育長が開示に積極的で、さらには県情報公開審議会においても公開の結論が出たにもかかわらず、教育委員会が「序列化や過度の競争を招く」として非開示としてしまいました。甚だ疑問な行為です。大阪府では橋下知事の開示要請に対し消極的な府教育委員会を知事が「クソ教育委員会」とまで断じているのです。 23区では墨田区をはじめ5区が公開、17区が非公開、大田区は唯一検討中としているのもいささか奇異であります。図書館のインタ−ネット接続など、23区のうち22区が実施したら大田区もやるという伝統から、多分最終的には「非開示」の結論を出されるのでしょう。 全国学力検査は、入学試験のように学力差により選抜をするような性質のものではなく、学習指導要領に基づいた学習が行われているかの確認の意味が大きいものであります。区立学校の教員のなかには、指導力不足により教科書の1/3以上を残して学年を終わる者もいると聞きます。学校や教師は自分が評価されることを極端に嫌う傾向にあります。22歳で若干多く単位を取り、ペ−パ−試験に合格すると「先生」と呼ばれ、教室では王様。そんな構図のなか、競争や評価を恐れていては、自己の改善や反省は生まれないのです。 この検査の結果、生活習慣と学力の相関関係も明らかになりました。朝食を取った子供達の結果が、とらなかった子供達の1.5倍にもなったことは驚愕に値します。塾に通わせるより「朝飯を食わせろ!」と、保護者に訴えるよい材料にもなります。 この結果を公表し、成績のよい学校と悪い学校の差異を検証し、教員が自らの指導法を反省改善をする努力こそ望まれる姿であろうと思います。9月6日現在23区中ただ一区公開を「検討中」とされていた当区は開示につき決定をされたのでしょうか。おうかがいいたします。 平成18年度に実施された東京都の学力検査の結果、23区中最下位だった大田区では、特に上位の生徒が国立、私立中学に進学してしまう中学校の成績差が著しいと聞きます。 過日行われた区立中学校PTAの役員会において、会長より「来年度より、蒲田地区の中学校にモデル校を指定して土曜日に塾の講師などにより授業を行う。詳細は10月下旬に教育長から発表がある。」との説明がなされました。 所管委員会にも何ら情報提供がありませんでしたが、そのような計画があるのでしょうか。清水教育長から直接聞いた方からの情報もあり、おっしゃったのは事実だと思いますが、はたして大田区教育委員会としての決定なのでしょうか。おうかがいいたします。 区立学校の中で、塾の講師が授業をして学力があがるのだとしたら、週5日間教えている正規教員はなんなのでありましょうか。また、モデル校以外の学校の子供達はどうするのでしょうか。そんな付け焼刃ではない、大田の教育の目指すもの、つまり戦略を明らかにして取り組むべき重要な課題であります。だからこそ、デ−タ−を公開して全区的な議論を行うべきなのです。 さらに、おなじく教育長がPTA関係者に「小中一貫校と作る」と名言されていると聞きますが、現在、小中連携の取り組みすらうまく機能していないなか、はやりに乗るがごとき「小中一貫」発言の真意をおうかがいいたします。 最後に、教員の地域活動についておうかがいいたします。大田区の教育は、学校、家庭、地域が一体となって取り組むと示されております。そして、夏休みなどの長期休暇、春秋の土日になると、区立学校の校長、副校長、一部の先生方は我々区議会議員より忙しく地元行事に顔を出します。そこでは、教室や学校の中では見ることのできない教え子達の姿があり、そのような場面に教員が来てくれたことによる新たな信頼関係も醸造されるのです。 ところが、この行為は残念ながら、すべて教員自らの意思に基づくボランテイア活動と位置づけられているのです。つまり、この地域活動中に教員がケガをしたり、場合によっては不幸にしてお亡くなりになった場合、公務傷害や公務死亡ではなく、私生活での扱いとなってしまうのです。 職務にするためには、学校長の職務命令が必要。休日に職務命令で強制することは「学校の管理強化」になると、日教組をはじめ教員の職員団体が反発するので出来ない、という構図なのでしょうが、主客転倒のロジックであります。教員団体は、教員の働きやすい環境作りがミッションであるはずが、政治的応援団に成り下がっているのではないでしょうか。 教員が、地域活動に積極的に参加することはもはや時代の要請でもあります。それを労働強化などと、戯言を言っていないで、正式な職務として認め、休日出勤手当や、長期休暇中の代休取得などで公務にすべきなのです。そうでないと、「私達は労働者」とばかり、地域行事になど参加しない教員だけが楽をし、ボランテイアとして参加してくださる志ある教員は「公務ではない」リスクを自ら負うことになります。このような教員が、安心して地域活動に参加できるよう、公務として参加するようにすべきですし、制度上難しいのであれば、事故発生の場合、公務に準じた補償が出来るよう民間の保険付保などを検討すべきだと考えますがいかがでしょうか。事故が起きてから「陳謝」や「再発防止」では手遅れです。前向きな検討をお願いいたします。 頑張る教員は徹底して応援し、教えられない教員、教えない教員は教育現場からお引取り願うこと、それが公教育再生の第一歩であると信じております。大田区から教育が変わった、そういわれる歴史を作ろうではありませんか。 職場での昇任、権限の確保だけに明け暮れる人生ほど、その立場を終えたときに虚しいものはありません。与えられた立場、権限を人々のため区民のために徹底して使う、そこにはうらみもそねみも争いもない。そんな大田区役所に早くなることを、松原区政に大いに期待して私の質問を終わります。
(答弁は明日の日記に)
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