いぬぶし秀一の激辛活動日誌

2008年01月09日(水) ご葬儀中に次の訃報が‥

 昨日から田村秀昭前参議院のご葬儀が、芝増上寺で執り行われた。お通夜の昨晩は、田村先生を慕う区議らと、大門で焼肉を食べながら先生を偲んだ。なんと不見識と言われるかもしれないが、賑やかなことが大好きだった先生なら、かえって喜ばれるのではないかと思う。

 お通夜の当日、棺は国会周辺を一周して18年間勤めた場に別れを告げたが、その同じ日、現職時代の田村先生が所属していた、外交防衛委員会において、山田洋行がらみの証人喚問が行われ、秋山何某から何度も「田村秀昭」との言葉が出ていたのは歴史の悪戯だろうか。(但し、その内容は陳腐で事実無根)

 ご葬儀には、防衛省からは石破防衛大臣、事務次官、官房長、統合幕僚長、陸、海、空各幕僚長など高級幹部が、政界からは、小沢民主党代表、綿貫国民新党代表、亀井静香国民新党代表代行など多くの重鎮が参列された。その中には、勿論、わが師、西村真悟代議士の姿もあった。

 そして、今日の告別式。導師の読経とともに、茶を愛した田村先生らしく、裏千家の家元がご霊前でお茶をたててお送りした。お焼香が始まる直前に西村先生の秘書さんが、走りこんできたので「西村先生は?」と声をかけたが、えらくあわてた雰囲気だった。

 後にわかったのだが、この時、すでに、西村先生のご長男林太郎氏が、議員宿舎20階から転落していたのだった。慶応病院に搬送後、田村先生の出棺とほぼ同じ頃、ご長男もお亡くなりになった。

 うつ病と診断されて、この日入院の段取りをしている矢先の出来事だったそうだ。西村先生はじめご家族の悲しみはどれほどだろうか。特に、「妻が歯を磨くために30秒ほど目を離した間(手記より)」に転落したという、母親たる奥様の自責の念は想像に難くない。なんとお悔やみ申し上げてよいかわからない。

 西村先生がマスコミに発表した手記の最後には、こうある。

私どもは、この突然の悲しみの中でなぜ、林太郎(ご長男)の転落を止められなかったのかと深く自責の念にかられながら今、林太郎は、ウツの苦しみから解放され、神に召されたのだと慰め合っています。

 想像を絶する悲しみと絶望の中、ご家族が支えあい、乗り越えていただきたい。そして、また元気な西村先生が、金正日ら我が国を取り巻く悪党どもと戦う姿を、ご長男も故田村秀昭閣下も天国で見守って下さるだろう。

 ご冥福を心よりお祈りする。


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