いぬぶし秀一の激辛活動日誌

2008年01月04日(金) さようなら、田村秀昭元空将閣下

 今日は御用初め。毎年恒例の大田区主催「新春の集い」が開催された。これは、区内各種団体、区各種審議会委員、官公庁の長など約2000名を招待して行われるもので、区で「食糧費」が使われる(実際の費目は違うが‥)数少ない会合である。

 昼間からほろ酔い加減で、区役所に戻ると、お正月気分を吹っ飛ばす訃報が入ってきた。

 前参議院議員で、元航空自衛隊幹部学校長の田村秀昭元空将が本日4時半、世田谷区にある自衛隊中央病院で逝去された。享年75歳、病名は胃癌。

 田村先生とは、新生党から新進党と移り変わる時代に、同じ航空自衛隊出身ということから親しくお付き合いを頂くようになった。防衛大学校の1期生から京都大学大学院に進まれ工学博士号を取得された、どちらかと言えば学者肌の制服組だった。

 毎週月曜日の夜には、品川プリンスホテルのコートでテニスをするのが日課だった。何度もコートでご一緒したが、ついぞこの老将軍に勝てることはなかった。平成13年11月、9月11日の同時多発テロで資金繰りに困った旅行会社を経営する私に、何も言わずに300万円を貸してくださった。

 その時の言葉は忘れない。

これを使え。ただし、利息はいらない。返せるようになったら返せ。煎餅一枚持ってくるな。

 1ケ月後にお返しにうかがうと「まさか返って来るとは思わなかった」と、笑われた。家族のために汗を流し、友のために涙を流し、国家のために血を流す。氏が常に語っていた「一源三流」の教えを身をもって教えられた思いだった。

 新生党結党からは、小沢党首と行動をともにされていたが、民主党に「明確な安全保障政策がない」と、国民新党の結党に参画され、党副代表の要職に就かれていた。一昨年の衆議院選挙では、突如記者の前で「東京4区 候補者 犬伏秀一 大田区議」などと書いた名簿を公開しようとするなど、いささか危ない茶目っ気のある将軍閣下でもあった。その時に「お前出ろ!」と言われたテニス仲間は、今、堂々の衆議院議員となって活躍されている。

 昨年は、山田洋行からの献金が報道され、叙勲を辞退されたが、その後も守屋前次官や、宮崎前専務のことが報道される度に「自衛隊は悪くない」と、苦々しく語っておられたそうだ。

 氏の政治信条は「国民の生命財産を守る自衛官に名誉を!」だった。その大きな軌跡は「防衛庁」の「省」昇格であろう。その後押しをしたのが、守屋氏であったことは、歴史の悪戯だろうか。

 田村閣下のご厚情に感謝し、ご冥福を心よりお祈りする。


ご葬儀の日程

お通夜 8日(火曜日)18時から 
告別式 9日(水曜日)11時から

於:芝増上寺


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