いぬぶし秀一の激辛活動日誌

2007年04月11日(水) 私が今でも「自由党」を名乗っている訳

 最近、自由党のマニフェストを配ったり、自由党の旗をたて演説をしていると「まだあったの?」と質問を頂く。統一地方選挙の取材では、新聞各紙から「自由党とはなんだ?」との電話が入る。面倒なので、事情を説明する。

 私は、平成6年に当時都議会議員だった、松原仁衆議院議員に「小沢さんと新生党という政党を作ったので、大田支部常任幹事になってくれ」と請われ、新生党とのかかわりができた。その後、新生党の区議候補として公認を受けたが、選挙前に党名が新進党にかわり惨敗。

 自由党に分裂した後、当選。平成15年に、自由党公認で再選を果たした。しかし、その後の民主党への合流劇には、なんとしても納得できず、自由党解党の日に、新たな自由党を結成し、総務大臣に対し、設立届を提出した。当時の都選菅は、大慌てだったが、すでにない名前をつけたのだから文句のいいようがない。

 従って、現在、北海道から沖縄まで、自由党という名前は、私の許可がなければ使用できない。

 ではなぜか?私は、区役所の中で、お役人が働かなくなった元凶とも言うべき「自治労」の下部組織と戦っている。また、区立学校の教員の問題行動を追及すると、必ずといっていいほど、日教組が出てくる。民主党には、これらの団体選出の参議院議員がいる。その政党に入ることは「魂を売ること」に等しいことだ。

 また、お役人に迎合しない毅然とした態度や、超人的な政治感覚の小沢党首は尊敬していたが、以下の発言でその気持ちも一発アウトになってしまった。それは、「靖国神社にはA級戦犯が合祀されているから‥」「外国人参政権付与賛成」などである。

 これは、国家の根幹にかかわる問題である。絶対に譲歩することは出来ない。

 そして、今、私は、あの歴史ある「自由党」の名前を守っている。いつか、志ある「真正保守」の国会議員が、民主党を飛び出し、自民党を飛び出してきた時、この名前を継承される日を夢みて‥


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