いぬぶし秀一の激辛活動日誌

2006年09月11日(月) なんで職員が飲酒事故おこすと市長が謝る?

 週末にかけて、日本中、公務員の飲酒事故の報道だらけだ。ここに来て、突如、公務員の飲酒事故が増えた訳ではなく、マスコミが「旬」だと思って、取り上げているだけだろう。ところが、善良な視聴者は「そうか、公務員の事故が増えているのか〜」と、なる。メデイアは怖い!

 しかし、よく考えて欲しい。全国500万人以上の公務員がいるのだ。赤ちゃんから高齢者までいれて、25人に一人は公務員なのだ。就労人口と、飲酒年代というセグメントにしたら、さらに割りあいは増えるだろう。そりゃ、事故もあろう。決して、飲酒事故を弁護するつもりは毛頭ないが、「公務員=聖人君子」という構図はおかしい。(教育公務員や、司法職員は、その構図であるべきだが‥)

 さらに、日本的で、幼稚な社会を痛感するのは、いちいち、その上司がテレビで陳謝し「常々指導をしていたが‥二度とこのような事故のないように指導を徹底する。」と、全国統一謝罪文(そんなもんはないが)を「朗読」する姿だ。姫路市にいたっては、市長の給与を減給するという。

 公務員といえども、私生活がある。そこでは、主人公である。そこで、何をしようが、上司の管理すべきことではないし、物理的に管理や指導など出来やしまい。上司が指導すべきは、効率的な職務運営であり、公務執行中の服務指導である。私生活での出来事まで「謝罪」するのは、馴れ合い社会、幼稚な社会を象徴している。規則に則り、懲戒免職にしてしまえば、それでいい。

 例示がわるいかもしれないが、以前、民主党の菅氏が、マスコミの美人記者と都内ホテルで一夜を過ごしたことがある。そのことを詰め寄る記者団に、彼は毅然としてこう言った。「私が、そのことで政治的に何か問題を起こしたのか?なぜ、君達に説明する必要がある。説明すべきは妻だけだ。」と。
ことの是非は別にして、これが大人の社会、成熟した社会のあり方ではないだろうか。

 日本は、戦後60年間「公」という教育を忘れた結果、公私がごっちゃになってしまったようだ。

 と言って、飲酒運転は絶対にいけませんぞ!成熟した公務員の皆様!

 


 < 過去  INDEX  未来 >


いぬぶし秀一 [MAIL] [HOMEPAGE]
 
↑今日の日記は気に入りましたか?
My追加