いぬぶし秀一の激辛活動日誌

2006年06月22日(木) 親バカ一発!

 奈良県の医師宅母子放火殺人で、高校1年の長男が逮捕された。関西で有数の中高一貫校に通い、剣道2段の「文武両道」の少年の犯罪には、同年代の親として、驚愕と、残された遺族への表しがたい同情の念を持った。

 そのニュースと前後して、陸上自衛隊にいる長男からメールが入った。

今日卒業しました。賞は取れなかったけれど、素晴らしい同期と教官に出会えて、合格(陸曹候補生)してよかったと思った。

 彼(長男)がある私立大学の付属高校2年だった平成14年、私は24年間経営していた会社を倒産させてしまった。家族に謝る私を見て「オヤジ、俺も働くからがんばれよ」と励ましてくれ、実際、私がその直後にはじめた飲食店で、なんと調理をやってくれたのだ。

 そのおかげで、私は3億円もの負債をかかえながらも、自己破産を選択せずに、再起する決意を持つことができたと思っている。そして、平成15年3月、彼は、系列の大学への進学をせず、別の大学を6校受験して、すべて不合格。一校あたり3万円以上の受験料は、極貧だった私にはけっこう厳しかった。

 私が、航空自衛隊出身だったこと、又、自衛官募集相談員というボランテイアをやっていることもあり、自衛隊の試験は、防衛大学校からパイロット、一般の自衛官とすべて受験しており、一番易しい「一般2士」という試験だけ合格していた。(自衛隊はすべて受験料無料)

 まあ、大学浪人させてくれ、と言ってくるだろうと思っていると、意外にも「オヤジ、俺、自衛隊入るわ」と。ええ!いいんだぞ、金はないが浪人しても‥何度も慰留したが、彼の決意は変わらず、3月27日に小さなバックひとつ持って、陸上自衛隊に入隊した。蒲田駅で振り返った淋しそうな後姿は、脳裏から消えない。今でも言わないが、きっと「オヤジ、金ないから迷惑かけれない」との、優しさ故の決断だったろうと思う。

 さて、それから3年、紆余曲折はあったが、彼は「生涯の職」として自衛官を選択した。彼の入隊資格では、2年毎の「契約社員(任期制隊員という)」で長くは勤められない。陸曹候補生という試験に合格する必要があるのだ。猛勉強の末、今年1月、一回目の受験で栄冠を手にして、4月から陸曹教育隊に入校しており、本日無事卒業したらしい。

 今後、職種の専門教育受けるために別の学校に3ケ月入校し、来年1月晴れて「3等陸曹(伍長)」の階級章をつけることになる。

 恵まれた医師の家庭に育った殺人犯の高校生、家の状況から自衛隊を選択せざるを得なかった我家の長男。比べようもないが、我が愚息、よく頑張ったな。卒業おめでとう!

 


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