2005年05月21日(土) |
初めて出会ったお祖母ちゃんは冷たかった… |
昨日の母のお通夜。どういう扱いになるか複雑だったが、私の家族を参加させることにした。誰も母を知らないのだ。20数年前、妻との結婚式に出席を頼んだが、欠席。親代わりは、伯父夫婦がなってくれたので、妻も会っていない。数年前に娘を連れて、立川の家を訪ねたが、到着間際に「逃げられて」しまった。従って、子供達もしらない。
私と母が、どういう関係であれ、子供達にとっては、血をわけたお祖母ちゃんである。最後に会わせるのは、親の義務でもあると思った。陸上自衛隊にいる長男には忌引きをとらせ、高校生の娘は早退をさせ、お通夜に参列させた。
子供である私ですら「親族扱い」なので、家族は、その他の親族席に着席した。棺桶をあけて初めて会う祖母の顔に、多感な時期の娘は泣き出してしまった。その後のお清めの席でも泣きじゃくり、何も食べれなかった。
喪主である義父は挨拶で「幸せな人生だった」と彼女の生涯を総括した。私には、そうは思えない。5人いる兄弟で、お通夜に来たのは1人だけ。これは、祖母の相続財産を巡る争いの結果らしい、と聞いた。孫は3人いる。うち一人は弟の娘(4歳)。残る2人は我が家の二人。だが、この二人の顔は、ついに見ることなく逝った。
なんでこんなことになったか。責任の一端は私だ。15歳で、母の希望(都立国立高校か立川高校から電気通信大学へ行く)を無視して、航空自衛隊に入ったこと、その後、離縁して元の名に戻ったこと、「次に会うときは葬式の時だ」と言ったことなど、どれも腹に据えかねたのだろう。それにしても、30年以上も許さない頑固さは、りっぱですらある。
そういえば、母の肌に触れたのは昨日が生まれて初めて、と書いた。今日、骨になっても言えなかった言葉がひとつだけあった。今までの人生で一回も本人に言ったことがない語句だ。
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