2005年05月22日(日) |
★★祝 航空自衛隊生徒隊創立50周年★★ |
母が亡くなったために、3日間程しめっぽい日記になってしまったことお許し願いたい。
さて、昨日は告別式、初七日を終え、喪服から背広に着替えて明治記念館へむかった。一昨日の熊谷基地に引き続き、航空自衛隊生徒隊創立50周年祝賀会が開かれているのだ。
従兄弟の、車で送ってもらうが、途中渋滞で、すでに遅刻。途中の駅で電車に乗り換え明治記念館に到着したのは開始後1時間後だった。一昨日に続いて、いるいる。あっ、俺を殴った先輩もいるじゃないか。
女性がいない基地の中で、ミニスカート姿にドキドキした現代国語と漢文の教官もいた。散々、教室の後ろに正座させられた数学の教官。「きょうか〜んは、ニッポンが好きだ〜」という名文句で授業を始める日本史の教官など、懐かしい顔、顔。
2年生の時に、新入生と1対1で1ケ月付ききりで生活指導する「対番生徒」という制度があるが、その後輩が、生徒隊で庶務を担当する「曹長(下士官の最上位)」になっていたのには歳を感じた。
自衛隊生徒制度は、旧軍の予科練(海軍)、幼年学校、少年飛行兵学校(陸軍)をたしたような制度で、中学校卒業の生徒を4年間教育して、3等陸、海、空曹にする制度である。旧軍では、兵学校(海)や士官学校(陸)に無条件で入れたが、自衛隊生徒は、一般の高校生とともに防衛大学校の推薦、一般入試を受けなければいけない。
「母ちゃんの独裁体制から逃げる」目的で、入学した自衛隊生徒だったが、結果として、今の人生におおいに肥やしとなっている。航空自衛隊にいなかったら、議員にはなっていなかっただろうと思う。また、多くの知己を得ることも出来たのも、元自衛隊生徒という肩書きが影響している。
15歳で聞く消灯ラッパは、精神的にも肉体的にも極限の一日を癒すには、あまりにも悲しいメロデイで、何度涙しただろうか。
今日も、空200人(各学年50名)陸1000名(各学年250名)海240名(各学年60名)の生徒たちが、将来の防人を目指して、消灯ラッパに涙していることだろう。生徒を含めて、全国24万人の自衛官の不断の努力のもとに「わが国の平和」が成り立っている。
おめでとう!航空自衛隊生徒隊創立50周年!
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