いぬぶし秀一の激辛活動日誌

2004年12月02日(木) 結構へこんだ48歳の誕生日

 人生とは早いものである。本人は20歳台のつもりでいても確実に加齢はすすんでいる。昭和31年12月2日に生まれた『珠のような赤子』も、ついに48歳、中年のオヤジになってしまった。

 視力には自信があったのだが、最近は名刺の小さな電話番号が見えにくい。さらに、フサフサだった髪の毛も、地肌が見えるようになり、人間ドックでは『要注意』項目が毎回増える。

 しかし、まあ、オヤジの他界した歳(42歳)より6年も長生きできた、と考えれば、毛や視力などたいした問題でもないかもしれない。

 そんな誕生日の今日は、夕方から議会野球部の納会兼ボーリング大会があった。(勿論、公費は一円も使っていません!)一応、全議員がメンバーと言われて、一年生の時に入部したが、一、二回試合に出て以来『ヘタクソ』と認定されて出番がない。

 それでは、ボーリングで…と臨んだのだが、なんと2ゲームとも100を切ってしまった。同じレーンでプレイした『生まれて初めて、スペアを取った』女性議員さんに、9ピン差で勝ち、ブービーを逃す、という散々な結果だった。はっきり言って、ボーリングには自信があった。アメリカの貧乏留学時代、名門スタンフオード大学(私は隣の学校)の学生用ボーリング場で鍛えたし、放送大学の体育実技(今はない)はボーリングを取った。

 それが、それが、悔し〜い!本当にくや〜し〜い!結構、本気でへこんで、納会の会場に向かう途中、弁護士からの電話。『特定調停以来連絡のなかった、●●海上火災保険が、連絡してきましたよ』と。これは、旅行会社を経営していた時、JR東日本の、チケット発券用端末の信用保証保険に入っていて、会社廃業にともない、JRに対し相当多額の保証債務を弁済して頂いたのだ。

 名称は保険だが、実態は連帯保証のようなもので、この保険会社に対し、私個人が連帯保証人になっていた。当然、返済しなければいけない。が、平成14年に調停が不調になってから連絡がなかった。それが、誕生日に連絡とは…

 納会が終わり、親しい議員が『誕生日祝い』の二次会を開いてくれた。酔いと、『へこみ』で、相当騒いだようだが、終わるころには元気を取り戻し、頑張るぞ〜
と夜の道を元気一杯、家路を急いだ。その途中、メールが。『日が変わってしまったけど、誕生日おめでとう』自衛隊にいる長男からだ。

 おう!オヤジ頑張るぞ!


 < 過去  INDEX  未来 >


いぬぶし秀一 [MAIL] [HOMEPAGE]
 
↑今日の日記は気に入りましたか?
My追加