いぬぶし秀一の激辛活動日誌

2004年08月15日(日) 西村真悟代議士と靖国神社昇殿参拝

 今日は終戦記念日。例年は、平日のため、区議会定例(毎月15日)常任委員会が開催されるため、早朝にお参りして、10時までに大田区役所に戻っていた。今年は、久しぶりの日曜日のため、午前中は靖国にいれる。

 まずは、英霊をたたえる会主催の「戦没者追悼中央国民大会」の受付に顔を出す。こちらは、各界の著名人が靖国への提言を行う、この日恒例のイベントだ。今年は、西川京子自民党婦人局長(衆議院議員)、靖国違憲訴訟の被告側弁護人、稲田朋美氏、元防衛大学校教授平間洋一氏が登壇された。女性2名が登壇された意義はとても深いと思う。

 その後、西村真悟代議士主宰の「西村塾」の昇殿参拝に参加した。回廊の途中では、SPに守られた、羽田孜元総理はじめ国会議員が、我々の参拝を見送ってくれた。彼らは、我々の次の順番だったようで、ちょっぴりいい気分だった。

 靖国に祀られた246万余りの英霊の中には、我が叔父、犬伏寛男(海軍短期現役5期、主計少佐)もいる。親族がいるからではなく、今日のわが国の発展の基礎を築かれた英霊に、一国民として感謝を捧げ、昨今の自虐的風潮との戦いを改めてお誓い申し上げた。

 神社内で、天皇陛下の「終戦の詔書」を頂いた。玉音放送の一部を拝聴したことはあったが、全文を読むのは始めてだ。すばらしい文章だと思う。特に、最後の部分は、今日我々がすすむべき道を見事に表されている。畏れ多いが、掲載させて頂く。(原文はカタカナ表記で、句読点はない)


終戦の詔書

 朕深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み非常の措置を以って時局を収集せんと欲し、茲(ここ)に忠良なる爾(なんじ)臣民に告ぐ。朕は帝国政府をして米英支蘇四国に対しその共同宣言を受諾する旨通告せしめたり。

 抑抑帝国臣民の康寧を図り万邦共栄の楽を供にするは皇祖皇宗の遺範にして、朕の挙挙措かざる所曩(さき)に米英二国に宣戦せる所以(ゆえん)もまた実(まこと)に帝国の自存と東亜の安定を庶幾するに出て、他国の主権を排し領土を侵すが如きは固より朕が志にあらず。然るに交戦已(すで)に四歳を閲し、朕が陸海将兵の勇戦、朕が百僚有司の励精、朕が一億衆庶の奉公、各最善を画せるに拘わらず戦局必ずしも好転せず、世界の大勢また我に利あらず、加之敵は新たに残虐なる爆弾を使用して頻(しき)りに無辜(むこ:罪の無い人々の意)を殺傷し、惨害の及ぶ所真に計るべからざるにいたる。而(しか)も尚交戦を継続せんが終に我が民族滅亡を招来するのみならず、延べて人類の文明を破却すべし斯の如くんば朕何を以ってか億兆の赤子を保し皇祖皇宗の神霊に謝せんや。是(これ)朕が帝国政府をして共同宣言に応ぜしむに至れる所以なり。

 朕は帝国と共に終始東亜の開放に協力せる諸連邦に対し遺憾の意を表せざるを得ず、帝国臣民にして戦陣に死し職域に殉し非命に倒れたる者、及びその遺族に想いを致せば五内為に裂く。且つ戦傷を負い災禍を蒙(こうむ)り家業を失いたる者の厚生に至りては朕の深く軫念(しんねん)する所なり。惟(おも)うに今後帝国の受くべき苦難は固より尋常にあらず。爾臣民の衷情も朕善く之を知る。然れども朕は時運の趨(おもむ)く所堪え難きを堪え忍び難きを忍び以って万世の為に太平を開かんと欲す。

 朕は茲に国体を護持し得て忠良なる爾臣民の赤誠に信依し、常に爾臣民と共に在り。若しそれ情けの激する所濫に時端を滋(しげ)くし、或いは同胞排擠互いに時局を乱り為に大道を誤り信義を世界に失うが如きは朕最も之を戒(いまし)む。宜しく挙国一家子孫相伝へ確く神州の不滅を信じ、任重くして道遠きを念(おも)い総力を将来の建設に傾け、道義を篤くし、志操を鞏(かた)くして、誓って国体の精華を発揚し、世界の進運に後れざらんことを期すべし。爾臣民其れ克く朕が意を体せよ


御名御璽


昭和20年8月24日


(以下、いぬぶし記) 

嗚呼、この国よ、我が祖国よ、とこしえに幸あれ!
霊よ、安らかに眠られよ!





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