いぬぶし秀一の激辛活動日誌

2004年01月28日(水) 英霊の御霊の乾杯!戦没者遺族会バス旅行

 今日は、朝から戦没者遺族会の日帰り旅行だ。父の兄、つまり叔父が、海軍主計少佐として、昭和19年1月31日靖国丸という船で戦死した。兄弟は、80を越える叔母(父の姉)しか生きておらず、私が遺族会に入った。遺族会から、「戦没者の詳細をを教えて欲しい」との連絡があり、一昨年1月31日に、叔母に電話した。叔父さんは、階級は何、なんていう船?と質問していくと叔母が、「なぜ、今日が命日だ、ってわかったの」と言う。

 命日も聞こうと、電話したら、その日が命日だった。不思議だった。叔父が、何か語りたがっているような気がした。その次のお盆には、やはり遺族会から「戒名を教えて」ときた。叔母も、これは知らなかった。これも、叔父のメッセ−ジだと、勝手に理解した。つまり、戒名知りたければ墓参りにこい。ということではないのか。

 父の墓を、7年月賦で購入してから、「犬伏家ご本家」の墓には、まったく行っていなかった。わかりましたよ、おじさん。と、市川にある墓に出かけた。いやはや、これだから、おじさんは来い、とメッセージをくれたのか、と思った。草ぼうぼうなのだ。一時間以上、真夏の太陽のもと草刈をして、戒名を写してきた。

 偶然だと言えば、偶然。でもきっと、おじさんが呼んでいるんだ、と思う。そう思ったほうが楽しい。

 途中立ち寄った、安房神社の境内には、館山海軍砲術学校の慰霊碑があった。それによると、昭和20年の、日本国男子の平均寿命は20歳9ケ月だったという。その英霊の方々おかげで、すでに私も、倍以上の年齢を生かされている。

 国、愛する人、郷土のため若くして散っていった英霊の志に比べて、私はどうだろうか‥バスのサロンルームで、酔っ払いながら考えた。


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