いぬぶし秀一の激辛活動日誌

2003年11月01日(土) 予備2等空曹招集訓練中

 私は、昭和47年4月3日、埼玉県熊谷基地に所在する、航空自衛隊生徒隊に入隊した。航空自衛隊生徒3等空士であった。自衛隊生徒というのは、旧軍の予科練、少年飛行兵、幼年学校のような制度で、中学卒業者を4年間教育し、三等陸、海、空曹(旧軍の伍長)に任官するものだ。当時空100名、海120名、陸520名(現在は、半分)を一年に採用していた。

 私の期、18期生は84名が入隊し、現在2名死亡、自衛隊に20名余りが在隊している。あのブルーインパルスの飛行隊長も、同期生である。有名人では、漫画家の本宮ひろし氏、コムスン社長、軍事評論家の小川何某氏などがOBだ。

 授業料ただ、食費、制服ただ、給料、ボーナス有り、という恵まれた環境のため、各中学校でトップクラスでないと合格できなかった。(私は、マグレ)ところが、4年間、高校の授業以外に、専門教育に相当の時間を取れれるため、卒業時の学力は相当下がってしまう。入学当時、自分たちより相当下位にいたものが、一般高校に進み、防衛大学校に進学するのを横目でみていたものだ。

 せっかく、国費をかけて4年間も教育するのであれば、旧軍のように、士官学校(防衛大学校)への入学を保証すべきだと思う。3等空曹の需給であれば、曹候補学生、曹候補士などの制度で充分である。

 さて、教育を終了すると、さっさと航空自衛隊を辞めてしまった、不届きのお詫びに、予備自衛官として、年5日の招集訓練に参加している。陸上自衛隊には、年間30日訓練の即応予備自衛官、予備自衛官、さらには、民間人から採用する、予備自衛官補という制度もあるが、航空自衛隊の予備は、全国に800名しかいない。

 本来、有事には基地防空など、後方支援に従事すべきが、在隊当時の「特技」を指定されているので、どうも具合が悪い。ちなみに、私の「特技」は、無線整備である。当時、真空管のコンピューターを勉強したものにとっては、三世代も変わったBADGE(半自動航空警戒管制組織)はチンプンカンプン。

 今日も、東京府中市にある、防空指揮群に出頭して、訓練を受けてきた。
現職時代には、触ったこともない、64式小銃の訓練も、見よう見真似。それでも、国を守る意識は、15歳の当時と変わらんぞ


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