2003年09月09日(火) |
台湾正名運動についての日記について謝罪 |
先日書いた台湾正名運動について、引率責任者から、下記のような説明が届いたので、記載について、若干弁明させて頂きつつ、お詫び申し上げます。 《説明についての私の釈明》 1、については、私が旅行会社を22年間経営していた経験から、当然日本から来た添乗員氏、その旅行会社の台湾代理店が、現地での日程時間などの説明をするものと思っていたため、それら「旅行のプロ」を「いい加減」と表現したもので、ボランテイアで協力している方々をもって、そう表現したわけではない。
2、4、については、私自身、台湾語も北京語も理解できる知識を有していないので、ツアー参加者の伝聞を、そのまま記載したことは、軽率だった。
3.については、了解です。
5.は、ごもっともな指摘だ。
いずれにしても、関係者に不快な思いをさせたことについては、率直にお詫び申し上げます。今後も、、台湾と日本の友好親善に、地方議員として微力ながら尽くしてまいります。 なお、該当部分の日誌については訂正または、削除いたしました。
《以下、引率責任者からの説明》
件名 : 「台湾の声」:【説明】正名運動日本応援団ツアーへのご不満について
正名運動を応援して下さる皆さまへ 【説明】正名運動日本応援団ツアーへのご不満について 普段、個人のホームページを全くのぞかない私に、ある方のホームページで書かれたことに対し、抗議のメールが複数届いています。呂秀蓮副総統の名誉にも関わっていますので、この場を借りて説明させて頂きます。
正名運動日本応援団の参加者である東京都大田区議員が、自分のホームページで今回の応援団ツアーについて、事実と異なったことを公開しています。私は今回のツアーの引率者として、指摘された点に以下の通り説明させて頂きます。
1,今回の二泊三日、48000円のツアーは、日本李登輝友の会である理事が好意的に組んでくださり、参加者全員に「添乗員はつきません」との案内も出されております。そのため、私を含めて友の会の事務局全員がボランティアでいろいろ協力しあって、現地で案内しているわけです。空港では、旅行会社の添乗員らしき者もおられましたが、それは、ツアーを組んだ日本李登輝友の会の理事がエアー沖縄に頼んで、特別に台湾まで同行しただけで、ツアーの条件の中に入っていません。実際、初日夜12時に到着して、翌日デモと晩餐会に参加し、三日目は呂副総統に表敬訪問してから空港に直行するまで、すべての訪問を、私が案内していました。その私の案内が「いい加減」、とのお叱りを、お受けします。
2,「東大卒業の通訳」が「靖国」のことを通訳しなかったとのご指摘は、全くの誤りでした。まず、呂副総統のお話も私の通訳も中国語ではなくすべて台湾語でした。小田村先生の挨拶の中に出た靖国神社のことも、すべてその通りに訳してあります。ただ、「靖国神社」は台湾語で言うと、分かりにくいため、敢えて北京語で「チングオスンサー」と言いました。
3,「大東亜戦争」を「第二次世界大戦」で台湾語に訳したのは、台湾では、「大東亜戦争」をそのまま直訳すれば、戦後生まれの呂副総統がわかるはずがないから、台湾で一般的に使われている「第二次世界大戦」にしました。「大東亜戦争」との言葉は台湾にはありません。これは、日本の「国連」と台湾の「聯合国」の違いのようなものです
4,呂副総統が、「私が出席すると、中国本土が武力行使をする危険すらある。残念だが、急遽欠席した。」を、全く言っていません。もちろん私もそのことを訳すはずがありません。当時、五十名近くの参加者がおり、日本語と台湾語両方理解できる方も複数いました。 5,以上のことを、不特定多数の人間が読むホームページに公開する前に、帰りの成田空港までずっと一緒に同行している私に確認してくだされば、私も複数の抗議を受けなくですみました。この点も、いささか残念です
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