中国各地で繰り広げられる反日デモと、それに対する日本の反応につい て考えてみた。 この問題、すごくさめた目で見れば「似たもの同士の同属嫌悪」という ことになるのかもしれない。
事の発端の一つは、4、5年前から小泉首相が靖国神社に参拝して以来、 日本政府と中国政府の仲がよろしくない。 それに加えて近年では「尖閣列島の問題」とか「天然ガス田の問題」 とか「日本の国連常任理事国入りの問題」が起こり、ギクシャクして いるわけである。 また、これだけの反日運動が起こる背景として、中国政府による 「反日教育」があるらしい。
さて、それではこの問題、私はどこが「似たもの同士」だと思ったのか 一つには、靖国神社参拝を続ける小泉首相にしても、また反日教育を 続ける中国政府にしても、それは国内問題で外からとやかく言われる 筋合いはないと思っているだろうということである。
だって小泉首相が「首相として」靖国神社を参拝するのは自分の思想 信条に加えて、自民党の有力支持団体である「遺族会」向けのアピー ルという面もあるのだろうし。
それが思想信条だけの問題であるのなら、一個人としてひっそりと参拝 すればいいわけだし、またその信教の自由に対して、他国どころか 第三者がとやかく言う権利はないだろう。
ただし、たとえ本人がそう思っていても、第三者がうがった見方をする 限り、政治的にはうがった見方がまかり通ってしまうんだろうし、 政治家である小泉総理がそのことに対して鈍感であるとも思えないわけ なのだが。
また、中国の反日教育だって、日本が反日教育をやめて下さいといえば 素直にやめてくれる問題でもないだろう。それだって内政干渉である。
おそらくは両者とも、自分の問題によそから首を突っ込まれたくない、 と思ってるような気がするのである。
そしてもう一つこの両者に共通するのは、内田樹が指摘していること にも関連すると思うけど、「その自分の行動を、他人が見たらどう 感じるのか」という視点が欠けている、という事である。
たとえば、日本の若者がアメリカなんて大嫌いだ、というデモを数万人 の規模で行なって、大使館に投石、火をつけたらアメリカ人はどう感じ るだろうか。
しかし、たかだか150年前には、その後の日本の指導者となっていった 薩摩や長州の若者たちが、英国人を斬り殺したり、公館に焼打ちを かけたりしていたわけである。 当時と今と一番の違いは、その情報と映像がすぐさまその関係国へと 流れてしまうことなのかもしれない。
我々日本人としては、最近になって映像としてその憎しみの矛先を (しかも自分たちは何一つ悪い事をしたという自覚もないのに)つき つけられるのがどれだけキツイ事なのか、ということを知るきっかけに なったわけである。
でも、戦前のアメリカでの日系アメリカ人に対する迫害なんて、この比 ではなかったんだろうなあ、などとも思うのであるが。
また、この問題に関連して、日本は過去にもさんざ謝罪しているのに、 この先何度謝れば気がすむのか、という問題もあると思う。
冷静に考えれば、相手の気がすむまで謝る必要があるのだろう。 だって、謝らなくてすむ、という事は相手が許す、という事であり、 相手が許さないからって、逆ギレしたって何の解決にもならないわけ だし。
人間同士だったら全く会わなくたって何の問題もないけれど、利害関係 の絡まった隣国同士、無視して先送りすることがより事態を悪化させる ことだってあるわけだし。
第二次世界大戦の敗戦国である日本とドイツの一番の大きな違いは、 日本は隣国との関係を無視しても(冷戦構造があったり相手が軍事政権 だったこともあって)平気だったのが、ドイツはフランスなど隣国との 対話・協調路線をつらぬかない限り、やっていけなかったって事かも しれない。
その反動としてのネオナチの問題があるのかもしれないが、そうやって ドイツは(西側諸国)、ヨーロッパの一員としての地位を築き上げていく ことに成功した。
それに対して日本はただアメリカの方を向いていれば核の傘に入り、 先進国の仲間入りを果たすことができたわけである。 ただし、その時から隣国問題を真剣に考えなかったツケが今になって やってきているのかもしれない。 それはまるで今まで家庭をかえりみることなく会社のために働いてきた 家庭の中で奥さんや子供とどう対話していいのか途方にくれる父親みた いなものなのかも。
しかも悪いこと?に今の中国、韓国には勢いがあり、かたや日本は この先人口減少、下手すれば落ち目の瀬戸際である。 アジアでは早くに経済的発展をとげ、ODAやらなんやら多額の資金援助 を与えてきた日本が、アジアのお兄ちゃん的立場でものを言おうが、 今勢いづいて追い落とそうと思っている新興国にとっては、聞く耳は 持たないのかもしれない。
それはまるでキャバクラで何百万もつぎ込んだあげくに言う事を聞け、 とつぶやいているオヤジと変わらないのかもしれない。
加えて話をややこしくしているのが、今回の騒動の元凶が中国の若者 であるということかもしれない。 たとえば30〜40年前、日本が高度成長の真っ只中にあって、勢いづいて いる時、日本の若者たち(いや世界中の大学生たちが)元気であった様に 今、経済発展をとげている中国の若者たちは力をもてあましてウズウズ しているのかもしれない。
しかも本来ならば政府に対して突き上げたくても突き上げられない鬱憤 のはけ口として、日本に向かってきているのかもしれない。 んで、日本の学生運動がそうであった様に、彼らも社会に出た途端、 そういう熱からはあっさり醒めてしまうのかもしれない。
ちなみに現代の日本の若者の場合には、成人式だったり、花見やら 阪神優勝やら、W杯の「祭り」騒ぎになっているような気もするのだ。 こっちの方が人を傷つけない分、いいような気もするが。
で、問題になるのは、その矛先が我々日本人に向いていることと、 もう一つ、彼ら反日教育を受けた層からこの先中国の指導者層が現れて くる、という事である。
つまりは今後50年近く、もしかすると私たちはこの状況にいる可能性も あるという事であり。 なおかつその50年後には日本と中国の力関係は大きく変化している可能 性も高いということである。 もっとも50年後なんて、私自身は死んでる可能性も高いわけだが。
でも少なくとも経済問題であれ、二酸化炭素の排出を含めた環境問題 であれ、エネルギー問題であれ、この先日本にとっての中国の存在感 は益々大きくなっていくんだろう。
石原慎太郎が三国人発言をして中国の不興を買い、怪気炎をあげている わけだが、その石原慎太郎にしたって彼の政治生命がこの先20年も続く とは考えにくい。 言うだけ言って、後はさっさといなくなるだけだろう。
でも、21世紀のこれからを生きる日本人にとっては、こういうやっかい な存在にもなりかねない中国との付き合い方を割と真剣に考えなきゃ いけないんじゃないのかな、と思うのである。
彼らの感情論に対して感情論で返してキレ合っていたってしょうがない わけで。 根っこにたとえ反日感情があるにしても、そういう相手にいかに利を とき、その感情をひとまずは飲み込んでもらうか。 もしくは利や口先だけの謝罪ではなく、ちゃんと対話をする構えを 相手に伝えることができるかどうか。 もしくはひたすら恭順の態度を示すなり、または敬して遠ざかるのか。
これがベストだなんて解答があるわけではない。 国と国同士の場合、おいそれと引っ越すわけにもいかないし、警察に 連絡して逮捕してもらうわけにもいかないのである。
で、あるならば足りない知恵をしぼってでも、相手といかに対話してい くか、よい関係性を築くにはどうすればいいのか、少なくともこの国の トップに立つ人は面倒でも考えていってほしいよなあ、と思うのである。
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