パラダイムチェンジ

2005年03月11日(金) オペラ座の怪人

今回は映画ネタ。見てきたのは「オペラ座の怪人」
この映画、一言でいうなら、「まごうことなき1本のミュージカル」
である。

それもそのはず、製作総指揮、脚本はミュージカルを手がけた
アンドリュー・ロイド・ウェーバー。
私は残念ながら舞台版は見ていないんだけど、おそらくは舞台の魅力を
損なうことなく、映画化することに成功しているんじゃないかな、と
思う。

とにかくね、冒頭モノクロームの映像からはじまって、「Over Tune」
(劇団四季のオペラ座の怪人のCMで流れるあの曲)がかかった途端から
画面に釘付けになってしまったのである。

そしてファントム役のジェラルドバトラーの歌声がとにかくいい。
前半部分、ファントムがはじめてヒロインのクリスティーヌの前に
姿を現わし、彼女を自分の世界に引き込もうとする時などは、本当に
彼の歌のとりこになってしまいそうな危険な香りがプンプンと漂って
くるのである。

物語は、オペラ座の主役に抜擢されたクリスティーヌが、芸術と恋人
ラウルとの恋の狭間に、もしくは闇の力に取り込まれてしまいそうに
なる葛藤を描いているのだが、そのためには闇の力の象徴であるファン
トムが、たとえ姿形は醜くても魅力的な人物でなければならない。
その辺を、そしてその内面のもろさを今回のジェラルドバトラーは
うまく演じていると思うのだ。


でも、その一方でクリスティーヌを闇の力から取り戻し、遠ざけようと
する恋人ラウルの正義感や愛情も、そして彼女を愛し取り込もうとする
ファントムの闇の力、よこしまな心というのも、おそらくは誰の心の
中にも存在するのだと思う。

そして多くの場合、どちらかだけに傾きがちなのかもしれない。
だけど個人的にはそれだけだとちょっとつまんない?んじゃないかな、
と思う一面もあって。

複数の人格を持つといわれる多重人格障害に悩む人の場合でも、臨床
心理学者の河合隼雄によれば、無垢な人格と邪悪な人格が存在する場合
大抵の場合邪悪な人格は無垢な人格が存在していることを知っており、
何をどう考えているのかわかって行動をしているらしい。

かといって、そのどちらか一方の人格を無理矢理抹殺して統合を図った
としても、うまくいかないことも多いという。
曰く大切なのは統合ではなく、調和なんだと。
すなわち、誰の心の中にも心の闇、邪悪な一面が存在しているとする
ならば、それとどのようにうまくつきあっていくかが重要なのかも
しれない。

そして、この映画を見て私が感じたことというのは、

一方的な正義感で闇を否定するな
闇から目をそむけるな
そして、闇にとらわれるな

という事なのかもしれない。

もしも、ラウルがクリスティーヌが闇に心を惹かれていることに全く
気がつかなかったら彼女には二度と会えなくなっていたかもしれない
し、またもしも、ファントムの心が闇に囚われていなかったら、たとえ
姿形は醜くても、魂まで闇に侵されていなかったら、彼とクリスティー
ヌの関係性も、もっと違ったものになっていたのかもしれない、なんて
思うのである。

果たしてファントムは最後の場面で何を得て、何を手に入れられなかっ
たのか、もしかするとその答えがそこにあるのかもしれない。


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harry [MAIL] [HOMEPAGE]

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