パラダイムチェンジ

2005年02月19日(土) 余計な心配はしない

沖縄から帰ってきて、一つ心に決めたことがある。
それは、いろんなことに関して余計な心配をしない、という事である。
というより、東京の、とうか今のマスメディアって、余計な心配が多す
ぎるって気がするのである。

沖縄から帰ってきて早々、父親が私に語った話は、いよいよもう銀行の
キャッシュカードも危ないので、普通預金はなるべく減らして定期に
入れようか?という話だった。

たしかに最近、通貨偽造のニュースはよく聞くし、銀行のカードさえも
スキミングされて知らないうちに預金が引き出されてしまう危険性が
ある、なんてニュースを目にすることも多かった。

うーん、でも冷静に考えてみて、もしも銀行のATMのみでキャッシュ
カードを使っていたとしても、そのカード情報がスキミングされるよう
な事態が起こったとしたら、すでにその銀行の信用は相当失われる事態
なんだから、その銀行とは取引しない方がいいだろうし、逆に銀行側は
そんな風に信用が失われることを何より恐れるわけだから、逆に今後は
万全のセキュリティーを備えるんじゃないのかな。

もちろん、心配ならコンビニのATMは利用しないで、多少面倒でも預金
は分散すればいいんだろうし。
つまり、余計な心配をして一喜一憂しているヒマがあるんだったら、
とっとと手を動かして、自分でできる対応策を考えればいいじゃん、
と思うのである。

また、帰ってきて早々、サッカーW杯予選の北朝鮮戦があったわけだけ
ど、北朝鮮戦が始まる数時間前、TVのニュースでは一体どっちが勝つ
のか、そしてその試合結果が今後の日朝関係に及ばす影響は?なんて
いうのをひっきりなしにやっていたわけである。

そんなもん、試合が終わるまで結果なんてわからないわけだし、たか
だか数時間経てばわかることなわけで(結果的には日本が勝ったわけだ
が)。
なんかね、そういうTVを見ていた自分がヒマだったというか、余計な
心配をするのが当たり前になっていたんだなあ、ということに気が
ついたのである。

もちろん、そういうことについて考えるのが悪いわけではない。
例えば最悪の事態っていうのは心のどこかで想定していた方が対処の
仕方もあると思う。
でも、最悪の事態が具体的にどのように起きるのかばかりを考えていて
実際その時にどう対処すればいいのか、考えていなければそれは何も
考えていないのと同じなわけで。

むしろ、具体的に最悪の事態を想定することに囚われてしまった結果、
その最悪の事態を呼び込んでしまうことだってよくあると思うので
ある。
それだったら、まだ、最悪の事態なんて起こりっこない、と心の中で
思っているほうがいいような気もする。

昔の中国の人は、この状態を指して杞憂といった。
広辞苑によれば、杞の国の人が、天が落ちてくるんじゃないかと心配
しすぎて何も手につかなかったという故事で、いらぬ心配までする
ことである。

そしてたぶん、今の日本って、相当杞憂状態なんじゃないのかな、と
思うのである。
だからまずは余計な心配はしないっていうのを、心に刻んでおこうと
思うのだ。


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harry [MAIL] [HOMEPAGE]

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