2004年12月15日(水) |
岩月謙司逮捕に思うこと |
先週、東京新聞の社会面を読んでいて、あっ、と思った小さな囲み記事 があった。 香川大学教授がセクハラで訴えられた、という記事である。
そしてその大学教授が、「女は男のどこを見ているか」などの多数の 著作がある 岩月謙司であり、あっと思ったと同時にうーん、と思って しまったのである。
一応、記事のリンクは貼っておくが、おそらくは消えてしまうので、 一部記事の引用を内田樹のサイト から借用すると
報道によると、「岩月容疑者は02年4月下旬、東京から来た20代の女性のカウンセリングをしたが、その際『今が自己分析をするチャンスだ』などと話し、自宅で一緒に入浴したり、寝室で女性の胸や下腹部を触ったりした疑い」で、岩月教授自身は容疑を否認している。
で、私はこの話のどこにうーん、と思ったかといえば、 でも、この人は臨床心理士でも、精神科医でもなくて、確か動物行動 学者なのに、なんでこんなことをしているんだろう、という違和感の 方が強かったのである。 それは同時に彼の著作を読んでも感じたことであり。
私が読んだことのある「女は男のどこをみているか」を例にとって あげるならば、彼の書いた本の着眼点自体は、読み物としては結構 面白いと思う。
たとえば、女性が幸せになれないのは、母親が嫉妬して娘が幸せに なるのを妨げているからだ、という「幸せ恐怖症」であるとか、 ダメ男にしか目がいかない女性がいるのは、その父親の影響が大きい、 であるなどの指摘は、一つの見方としては面白いと思う。
そしてそれがあてはまる例は多いのかも、しれない。 でも、あてはまる例が多いのと、それが全ての人にあてはまるの間には 大きな開きがあると思うのだ。 彼のものの見方がバッチリあてはまる人もいれば、その一方でそれが あてはまらない人も多いはずである。
そして彼の見解は、おそらく何人かの人々の事例から彼がつむぎとった 物語なんだと思うのである。 で、あるならば、彼の物語をすんなり受け入れられる人は治るだろうが 受け入れられない人とはこじれるしかないと思うのである。 そしてどうやら今までにも、こじれた結果、ストーカーされたり、自殺 をはかられたりしているようなのである。
おそらくは彼の場合、自分が自分なりの法則を見つけ出し、そして 目の前に困っている人がいるならば、それをどうにかして自分の手で 立ち直らせてあげたい、と願っていたはずである。
でも教育欲と同様に、自分が何とかしてと思い、一つの方法論にしがみ つけばつくほど、場合によってはその関係性はこじれてしまうんだと 思うのだ。
私は本で読んだ知識しかないが、いわゆる一般的な心理療法の場合、 創始者であるフロイトの時代から、その治療は料金を支払うことで 1回リセットされる。
逆に心理療法家、カウンセラーは無料奉仕ではなく、必ず時間と料金を 決めて行なわなければならない、と決めているのは患者との転移(恋愛 感情を相手に持つこと)をそれ以上には踏み込ませないため、という面 もあると思うのである。 ただし、その結果、ぱちもんのカウンセラーが法外な料金を請求して いることも多いのかもしれないわけだが。
その意味で今回の岩月教授の事件は、専門家ではない人が不用意に 地獄の釜を開けてしまったことによって起きた事件といえるのかも しれない。
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