TVで島田紳助を見なくなってもう1ヶ月以上経つ。 最初の頃はいなくてさびしいなあ、と思っていたのが、だんだんと 紳助がいないことが当たり前に感じられたり、もうTVでは見られない のかなあ、という感覚にさえおちいってしまう。
彼の代役を吉本興業の人気タレントが勤めていて、何人かはこれで チャンスをつかんでレギュラー番組も増えるのかもしれないし、また 何本かの番組は紳助がいないまま、終わってしまうのかもしれない。
一応、刑事事件の方は、刑が確定し、その上で被害女性の方は民事の 損害賠償を請求していく予定であるらしい。 紳助から暴行を受けた彼女には、その権利があり、そして彼女が受けた 精神的な被害の大きさに関しては、第三者である私たちが推し量ること はできない。 それは私がどんなに紳助がTVに復活することを待ち望んでいるのかを 他人が推し量ることができないように、その思いはトレードオフする ことはできない。
この問題に関する解決法は、彼女と紳助側が和解することなのだろうし その糸口が見えない限り、紳助がTVに復活するのは当分の間、お預け なのだろう。
これらのことを含めて、暴行事件を起こした島田紳助が一番悪く、 その被害女性が彼の復帰を望まず、そしてTV業界に多大な迷惑をかけた のだから、紳助は引退すべきだ、という意見もあるだろうと思う。
でも、できればもう一度、TVで紳助の事を見たいと思う人間の一人と しては、その結論は正論ではあるが、つまらないと思う。 なぜなら、彼が引き起こした事件と、私がTV画面を通して得られる彼の 面白さとは、全く別物であるからである。
もちろん、暴行事件を引き起こした島田紳助に罪がない、といっている のではない。 民事の裁判で和解、すなわち件の女性が納得するまで、この事件の方は 終わりにはならないと思うのである。 でももしも、この事件が一件落着をして彼がTV画面に復帰することが できたのなら、私は再び、彼の事を応援するだろう。 笑いのキレは少し落ちていたとしても、私は彼が自分の全身を使って 語る彼の話のファンなのだから。
その一方で、これはあくまで推察だが、件の被害女性の気分を逆撫で しているのは、島田紳助が引き起こした暴行事件だけじゃないんじゃ ないのかな、という気もするのである。
彼女が紳助に殴られたというのは、一つのきっかけにすぎなくて、 おそらくはそういうことも許されてしまうような、なあなあで事が 済んでしまう日本の(特に昔の吉本的な)芸能界の体質自体が、彼女に とっては、気に食わなかったんじゃないだろうか。
たとえば彼女の件に限らず、女性ADなどが、セクハラ被害にあってたり するのは、想像に難くないわけだし。
そしてだから今までどおりの芸能界の慣例に染まった業界人は、島田 紳助を擁護するし、逆に外部にあって現代の倫理・価値基準(それは 多分にアメリカナイズされたもののようにも思えるが)に染まった人は その犯した罪の大きさを言い立てるために議論は平行線をたどる。
だから今回の事件が一つの契機になって、悪がはびこる?芸能界の 仕組みが少しでも是正されるのであれば、それはそれでいいことなん じゃないかな、と思う。
でもその一方で、私はこうも思うのである。 でもさ、その猥雑さこそが、面白い何かを生み出す原動力になることも あるわけで。 芸能の世界って、もしもと人々の欲望が集まって(それは出世欲だった り、金銭欲だったり人気欲だったり)成り立っている世界だと思うので それが一切合財否定されてしまっては、面白みも半減してしまうんじゃ ないのかな、と思うのである。
そしてそれは視聴者の立場で言えば、一番つまらないことなんじゃない のかな。
今回の島田紳助の事件に関して言えば、どうひいき目に見ても島田紳助 のやりすぎだろう。 でもその一方でいえば、少しはお互いなあなあで成り立つグレイゾーン を残していかないと、息だけがつまる世界にしかならないと思うので ある。
そこではお互いにここまではOKだろうという一種の線引きというか、 共通認識が成り立つ世界でもあり。 そしてそういう領域がどんどん失われてしまっているのが今の日本なん じゃないのかな、という気もするのである。
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