2004年06月20日(日) |
情報は死なず ただ忘れ去られるのみ |
昨日の日記を書いた後、昨年の日記で毎日新聞に載った養老孟司の コラムを取り上げた事を思い出した。
詳しくは過去の日記を参照してもらうとして、ここで簡単に触れると、 「人は変わるが、情報は変わらない」という事である。
つまり、情報は活字であれ、デジタルデータであれ、一度人間の脳の 記憶の外側で外部記憶装置に記録をしてしまえば、(その媒体がなく ならない限り)その情報は、変わらない状態でそこにある。
もしも、その記録を引っ張り出したいと思った場合は、そのアーカイブ にアクセスさえできれば、いつでも参照する事ができる。 よく、ワイドショーなんかで有名人にスキャンダルが起こる度に、その 有名人の何年も前のVTRが流れたりするアレと同じ原理である。
その一方で、情報は簡単に忘れ去られる。それは、人の記憶はまるで RAMのように時として抜け落ちたり、書き換えられるからである。 そして人は過去、自分の記憶にあった出来事を忘れ去り、新たに起きた 刺激的な出来事に関心をよせていくのかもしれない。
そして、その一翼を担っているのが、マスメディアである。マスメディ アは、身の回りの出来事、健康グッズから、遠い世界の不思議な出来事 まで、人の関心を引くようにありとあらゆる情報を、人々の無意識の 時間の隙間にまで、流し続けていく。
そして当然、人はそんなに膨大な情報を処理し、記憶させ続けていくの は難しいからこそ、次から次へと忘れていく事で「処理」していく。
でもその一方で、個人的に忘れたくない、忘れちゃいけないと思う記憶 も存在する。 それが既に亡くなってしまった、身近だった人との「思い出」である。
先週の18日の金曜日、この前日記に書いた青木育子さんの「偲ぶ会」に 参加してきた。 その会には元旦那さん、学校の同級生、以前からの友人など、本当に 沢山の人が訪れて、会場に入りきれなかったほどの盛況ぶりだった。
これも、故人の人徳かもしれない。
そして、元旦那さんをはじめとして、人々の口から出る故人との思い出 は、一様に明るく、そして温かかった。 しんみりした会は本人に似合わないとばかり、時にはしんみりと、そし て時には笑顔も出るいい会だったが、それだけ、本人の存在感の大きさ を感じさせる会だったと思う。
私は以前にも書いたが、16年前に母を亡くしている。あと数年もしたら 母親と一緒に過ごした時間より、母親と別れて過ごした時間の方が長く なる。
写真ではなく、自分の記憶の中にある母親の面影は、多少薄ぼんやりと してきたけれど、母と一緒に過ごした時間は、16年経った今でも鮮烈な 記憶として、私の中にある。
私にはいわゆる霊感はないので、果たして霊魂とかたましいが、この世 に存在しているのかどうかはわからない。
でも、はっきりと言える事が一つある。 それは、私が今もこうして母親の記憶を思い出す限り、私の中で彼女の 記憶は生きている、と思うのだ。
つまり、私が忘れ去らない限り、亡くなった人は私の記憶の中では、 無くならずに存在し続けている、と思うのである。
そしてそれは私だけではなく、この広い世の中で、亡くなった人と縁の 深かった誰かがその人の事を思い出すとき、少なくともその人が確かに この世で生きてきた、という証になるんじゃないのかな、と思うのだ。
もちろん、外部記憶装置にも、その人の生前の記録は存在する。でも、 時には忘れやすい人間の脳に深く刻まれた「その人との思い出」は、 単なる記録にとどまらず、記憶であるからこそ、人間味と、温かさを その人に思い起こさせてくれるんじゃないだろうか。
そして、これは決して本人の本意ではなかったろうが、奇しくも出会っ て10年目という節目の年に、卒業してもう疎遠になってしまった旧友 たちとの再会を果たさせてくれた、青木さんの人徳に改めて感謝の意を 表したい。
ありがとう、青木ママ。
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