パラダイムチェンジ

2004年01月08日(木) 大掃除

今回は、大掃除ネタ。
どうでもいいことであるが、今年の正月休みの大掃除で、一つ会得?
したことがある。

それは、どんなにダラダラとやっていても、いつか部屋はきれいに
なる、という事である。

いや、毎年大掃除はダラダラとやるもんだと思っていたんだが、
今までは、途中で飽きてきて放り出してしまっていた部分も多々
あった訳なのだ。

今年の大掃除、何が一番違っていたかといえば、途中で諦めなかった
事、それだけに尽きると思う。

いつもだったら、例えば、除夜の鐘が鳴り終わるまでに、とか、
初詣に行くまでの間に、とか、元旦の間にはなんとか、という形で
とりあえずの目標を定めて、大掃除をしていた訳だが、それが達成で
きたにせよ、失敗だったにせよ、そこで掃除に向かう意識は途切れて
しまった訳ですね。

だから、元旦を過ぎても一向に片付かない我が家を見回しては、
ああ、今年も駄目だったか、とそこで諦めて後はそのまんまにして
しまった部分とかもあった訳だ。例えばレンジフードとか。


今回の場合は、一つの事に気がついた訳だ。
それは、掃除に区切りはあっても、終わりはない、という事に。

そうなんだよね、結局一人暮らしの場合、誰かが片付けてくれる訳
ではないので、自分が片付けなければ、部屋は散らかっていく訳だし
たまの休みに掃除をするにしても、片付けるスピードよりも、散らか
っていくスピードの方が早ければ、やっぱり部屋は散らかっていく。

人によっては、今日、この時間までに自分の部屋を徹底的に綺麗にする、
なんて切り替えの早い人も多いとは思うんだけど、残念ながら?
私の場合、そういうタイプではないようで。

じゃあ、そういうタイプの人間はどんな風に片付ければいいのか、と
言えば、うさぎに対する亀さんのように、のろのろと、部屋を片付け
ていけばいいのだ、という事に気がついたわけだ。

どんなにのろのろと片付けていても、片付けようという意識さえ
途切れさせなければ、いつか自分の部屋はきれいになっていくもん
なのだ。


そしてもう一つ、どこまで部屋をきれいにするのか、どこまで完璧に
部屋を片付けるのか、という問題に関しては、自分の肉体的要求に
合わせればいい、という事なんだという事に気がついた。

つまり、自分の部屋を見回したときに、気分いいなあ、と思う所まで
掃除をすれば、一応の区切り。
そのラインを最低とすれば、その状態よりも散らかってしまった場合
は、自分の肉体にとって、快適ではない訳だから、当然片付けたい、
という欲求が生まれてくる事になる。

で、その肉体から生まれてくる欲求に背き続けるのは、自分の中で
ストレスがたまる事になる訳だから、当然、掃除は行なわれ、結果
として部屋は、ある程度のラインで維持される。

まあ、問題になるのは、その肉体的要求が、どれほどの散らかり具合
で不快に思うか、という所だろう。

すなわちどんなに散らかっている状態でも、その方が居心地いい、と
思う場合は、他人から見ると問題でも、本人にとっては何ら問題の
ない部屋、という事になってしまう。

でも、自分の肉体モードに降りて、掃除をしてみると、意外と生半可
な水準では満足できなかったりするんだよね。
なんかすごーく人間として当たり前というか、情けないこと書いている
ような気もするが。

だから、私がそんな風に、自分の肉体とうまい具合に対話をし続けて
いられたら、この部屋もある程度の水準で維持できるんじゃないかな
とも思うんだが。できたらいいな。できるともさ。うん。


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harry [MAIL] [HOMEPAGE]

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