2003年11月23日(日) |
「天使は瞳を閉じて」 |
今回のネタはミュージカル 「天使は瞳を閉じて」。 鴻上尚史初のミュージカル演出である。
やっぱりファンとしては見に行かないとなーっていうのもあったし。 そして何より、長年、好きな芸能人は?と聞かれた時に答えていた 辺見えみりが今回舞台に初出演するとあっては、見に行かなくては、 という事で、期待と若干の不安を胸にして、見に行ってみる。
で、印象は「いやー、舞台に集中しすぎてグッタリした」であった。
今回の舞台、ミュージカルとしては初めてでも、作品としては再演の 舞台である。 元々この作品は、第三舞台作品の中でも、わかりやすく、また泣ける 舞台として、ファンの間でもリクエストの多かった作品である。
で、今回のミュージカル版は、以前の作品の魅力を損ねることなく、 ミュージカル化した作品になっていると思う。 すなわち、戯曲の肝となる所は、下手にミュージカル化せず、ちゃん とストレートプレイとして流し、それ以外の芸能?部分をミュージカ ル化する事によって、物語に厚みが増しているというか。
パンフレットで鴻上尚史が言っていた事を要約すれば、「演じていれ ばどんなに痛く、やりきれないセリフでも、音楽に乗せて歌にすれば それだけでポジティブな印象として、緩和して観客に伝わる」という 事らしい。
もう一つ、今日の作品の中での歌の役割としては、ストーリーを説明 する歌ではなく、各自のキャラクターを表現する歌になっている、 らしい。
だからかもしれないが、各キャラクターの感情が、ストレートに入っ てきた気がするのだ。
で、その肝心の歌は、杏里、木根尚登、中西圭三、岸谷香など、80年 代J-POPのそうそうたる顔ぶれ。 個人的な印象でいうと、このミュージカルを引っ張る力のある名曲中 の名曲!!という曲には残念ながらお目にかかる事はなかったが、今回 主役?の天野っちをはじめとして、歌う楽しさは充分伝わってくる 感じだった。
今回のミュージカル版では、多少のひいき目を省いたとしても、元光 GENJIの佐藤アツヒロ演じるユタカと、辺見えみり演じるマリ、そして 京晋佑演じるトシオとの、三角関係というか、恋の一方通行に、より テーマが集中していると思う。
恋を忘れるためにマリとの結婚を選んだけれど、歌うことを忘れられ ないユタカと、人気女優になりながらも、そんなユタカの事を一途に 愛するマリ、そして富?と権力を手中にしながらも、いやそれだから こそ、マリの心がユタカから自分に向かないことに傷つくトシオ。
個人的に一番印象に残ったのは、そんなユタカとマリとの、そして マリとトシオのシーンだった。
シーンが違うけれど、この作品の中で、マスターが夢がなかなか叶 わず、空回りを続けるアーティスト、ケイに対してこう言うセリフが ある。
「うんと傷つきなさい。傷つけば傷つくほど、人は優しくなれるもの だから」
そしてまた、再び傷ついたケイは、マスターにこう聞く。 「傷つけば傷つくほど、人は優しくなるって本当なの?」
それにたいしてマスターはこう言う。 「いや、あれは嘘だ。傷つけば傷つくほど、底意地の悪くなる人間だ っているよ」と。
うん、でも個人的には、傷つけば傷ついた分、人に優しくできる人間 でいたいと思うのだ。 傷つきたくがない故に、心に鎧をまとう事ほどつまらない事はないと 思うし。
昔、学生時代にこの戯曲を読んだとき、私の視点は、この作品の中で は橋本さとし演じるメディアプロデューサー、電通太郎の視点だった かもしれない。 すなわち、世の中には仕掛けさえあれば、いくらでも面白くなって いくんだ、と思っていた気がする。
そして、今回、ミュージカル版を観ていて感じたのは、そんな電通 太郎の、「あいつの旬は終わった」と簡単に切り捨てる姿勢に対する 違和感だった。
それは、20世紀にありとあらゆるものを消費しつくしてしまった気の する21世紀の現代に生きているからなんだろうか。
もしも、電通太郎が旬だけを追いかけ、消費し続けなければ、そして 才能あふれるケイは、自分の作品がヒットするかどうかより、自分の 書きたいと思うものを書き続ける道を選んだとしたら。
あの世界で天使1は今もまだ、「書く事がなくて困っている」のかも しれない。
うん、久々にしみじみと心に染み入り、元気をもらった鴻上作品で ございました。
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