2003年11月18日(火) |
「気持ちいいけどエロスはない」 |
今回のネタも週刊朝日連載、倉田真由美の「ほやじ日記」から。 今回取り上げるのは、10月31日号掲載の斉藤孝の回。
ベストセラー「声に出して読みたい日本語」の著者である。 倉田真由美曰く「いかにも勉強のできそうな、でも野性味ゼロの とっちゃんぼうや」TVで見た斉藤孝のイメージそのままなので思わず 笑ってしまった。
倉田真由美は続けてこう書く。 普通、人と人が話す時ってどうしても言葉の行き違いがあったり、 お互いの言葉の意味を誤解し合ったりしてしまうものだ。そしてリア クションでも想定外の暴投が返ってきたりして、キャッチボールのは ずがボールの行方を捜す作業に終始してしまったりすることもある。
しかし斉藤孝にはそういう齟齬がない。私が投げるボールを全部うま くキャッチしてくれる。(略)
私のように、男女のかかわり合いでは会話が最も大事なツールだと思 っているタイプには、斉藤孝は理想的な相手といえる。気持ちのいい 会話はSEXの前戯と同じと思っているタイプには。でもなんでだろう、 彼との会話には男女がないのだ。 会話自体は非常に気持ちいい。(略)
だけどそこにエロスはないんだなあ。気持ちいいけどそれはスポーツ の気持ちよさと同じで、握手をして笑顔で別れたい清々しさが残るだ けである
うん、そうなんだよなあ。「気持ちいいけどエロスはない」というの は、斉藤孝ほどの会話能力のない自分でも(ま、だからこそなのかも しれないが)感じる事であるわけで。
なんというのか、いわゆる言葉のキャッチボールとしての会話が楽し いと、それでもう自分の要求が満たされて、満足してしまう自分が いるんだよね。
だから会話の弾む異性とは、結局色恋というよりは友達関係になって しまうわけだ。
ただ、ここで誤解のないように?書いておくと何も女友達との間に エロスを介在させたい訳ではなく、むしろ「モテる訳でもなく苦にも されない」ポジションの方が居心地がよかったりはするんだけど。
でも、じゃあ女友達ではなく、自分が好きな相手にはどうしよう? という話になってくるわけだ。 その、個人的な答えとしては、以前日記 に書いたような、山田詠美が 言うところの不健全さ、という問題なんじゃないかなと思うんだが。
倉田真由美は、このコラムの中でこう書く。 「やっぱり男女の会話には時々捕りづらい悪球が交じるからこそ淫靡 が介入する余地があるのかもしれない」
うーん、悪球かあ。 と、思ったところで一つの話を思い出した。 という事で次回に続く。
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