さて、今回のネタは映画「キリクと魔女」なんだけど、いつもとはやや 趣が異なる。
ほぼ日刊イトイ新聞の、「映画キリクと魔女を真夏の深夜に見る会」 に参加 してきたのである。 この企画、夜の11時半までに集合して0時から映画上映。そして 夜中の2時前からトークイベントがある、という凶悪さだったのだ。
ま、1日くらいそんな無茶する日があってもいいかなあ、と軽い気持ちで 参加を決めたんだけど、その日はなんと、日本に上陸した台風が、こっち に向かってくる日になってしまったのだ。
え〜、どうしようかなあ、次の日実は仕事だしな〜、なんて一瞬躊躇した んだけど、死なばもろとも?めったにない機会だからいっちまえ!って事で参加決定。
とりあえずおにぎり持って、飲み物買って、会場の恵比寿ガーデンシネマ へGO!である。
で、結果論で言えば、台風、このイベントに参加している間は風はすごかったけど、雨はそんなに大したことはなかった。 普段の行いがよかったせいかもしれない。
台風の中でのイベントだから一種異様な盛り上がりがあるかな?とも思ったけど、皆さん「ほぼ日」読者らしく、大人の振る舞いで結構淡々と楽しく過ごす事ができました。
さて、本題?の「キリクと魔女」。
宮崎駿のスタジオジブリがこの夏配給する、フランスのアニメ映画。
一言で言うなら、「イイ!」の一言に尽きる。 なんつうのかな、最近の「アニメ映画」というよりは、「動くおとぎ話」 といった方が当たっているかもしれない。
できれば現代に生きる大人に読み聞かせたい「おとぎ話」だと思う。
もちろん子供が見ても楽しめると思う。 子供がこの映画を見たら、ちょっと大人びた気分になり、 逆に大人がこの映画を見たら、自分の子供時代に帰ることができる、 そんな感じとでもいえばいいのか。
つかの間の夏休み、子供気分を味わえたって感じかもしれない。
主人公キリクはお母さんのお腹の中から、自分で生まれてきた男の子。 生まれたばっかりなのに言葉を話せるし、大人より速く走る事もできる。 でも、生まれたばっかりだから、体はとても小さい。
キリクの体はとても小さくて、とてもすばしっこいから、トムとジェリー のジェリーや、トゥイーティーのように、賢い頭を使って、小よく大を 制することができる。
加えてもう一つ、キリクには武器がある。 それは「問う」ということ。
キリクは問う。「何故、魔女カラバは意地悪をするのか?」「何故、泉の 水は涸れはてたのか」と。 それに対して村の大人たちは答えられない。村の長老でさえも。
ただ二人、キリクの母親と祖父だけはキリクに答えられてこう答える。 「私にはわからない」と。
そう、わからない事に関してはわからないと言うべきなんだよね。 変にごまかして、本質を見えなくしてしまうよりは、わからない事は わからないと言えばいいんだと思うのだ。
その上で母親は「お前のおじいさんなら答えを知っているかもしれない」 といい、その為の方法をキリクに教えて協力する。 そのおじいさんははるばる訪ねてきたキリクをこう言ってたしなめる。
「やれやれ、お前さんの問いに付き合っていると、魔女カラバの事につい て話す前に、この世界の始まりまでさかのぼらなきゃならんな。もっとも お前さんはそれでも満足しないかもしれんが」
すなわち、ちゃんとキリクの問う内容を聞いた上で、その姿勢を修正して いるとでもいえばいいんだろうか。 できればこういう祖父になりたいよな〜。
で、その上でひとりぼっちで闘うキリクのことを、母親と祖父は、そっと 抱きしめる。 うん、やっぱり自分の事を愛してくれる人に抱きしめられるのって、 勇気とやる気が湧くよなあ、と思うのだ。
キリクは一人で闘っているけれど、一人じゃない。 そんな当たり前の事に気付かせてくれる、いい映画だと思う。
おとぎ話なんだけど、言葉の端々に、思わずおっと思うような、本質を つくような言葉が隠されているのが面白かった。
今回見たのは日本語吹き替え版だったんだけど、この吹き替え版の翻訳と 演出を「おもいでぽろぽろ」「蛍の墓」の高畑勲が行なっている。 その翻訳とアフレコでの情感の入れ方がとにかく上手い。
もしも画を見なくて声だけ聞いていたらジブリ映画だと言われても信じ ちゃうかもしれない。 そして、全体を包む画も、単純なんだけど、とてもきれいな背景だったり とにかくアフリカの大地の大きさを感じさせてくれる感じになっている。 決してリアルではないんだけど、肉体を感じさせてくれるというか。
なんつうのかな、見ていてすがすがしい気分にさせてくれる映画でした。
その後のトークショーも含めて、初めてアフリカの大地に憧憬を抱かせて くれるような、そんなイベントでございました。
翌日の仕事は、正直ちょっと死んでたけどね(笑)。
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