パラダイムチェンジ

2003年08月07日(木) 「男のモテモテ講座」

うちの仕事場には、時々週刊誌が置いてある。
私が買ってくるのではなく、大抵は、たまたまうちの親が買って、読み
終わった奴を有効利用させてもらっている訳だ。

で、たまたま今日、その中の一冊を読んでいたら、こんな対談にめぐり
あった。
題して「我に福音を与えよ―男のモテモテ講座」。

載っていたのは今週発売された「週刊文春/8月14日・21日夏の特大号」。お盆がらみなので、おそらくは来週でも手に入るはずである。
で、対談しているのは、お茶女と共立女子大の、二人の男の教授先生。


で一体、この記事のどの辺が面白かったのか。
とても参考になる話が載っていたから面白かったのではない。
逆に、全く参考にならない話だったから面白かったのだ。

なんか、対談している文章の行間から、「あー、この人たちはモテない
だろうなあ」って空気がプンプン漂ってくるんである。
ていうか、この記事を読んで何とかしようと必死になって読んでいる段階
でやばいでしょう、って感じかもしれない。

よく、女の子に馬鹿にされるものの一つに、恋愛マニュアルを必死に
なって読んでいる奴、というのがあるらしいけど、この記事に関しては
そんな気になってくるんである。


え?じゃあその記事を読んでいるお前はどうなんだって?

自分が果たしてモテモテか?と言われるとそうでもないと思う。
まあ、全く誰にも見向きもされない、なんて事はないので、そこそこ
モテて、そこそこモテないって感じかもしれない。

で、実はこの記事に限らず、この手の「モテるための」本や記事を読むの
は好きなんだけど、それはそれを読む事で、モテるようになりたい、と
切実に願っている、という訳ではなく、「モテたい」という人の願望を、
書いている人はどんな角度で見ているんだろう?と思って読むのが楽しい
のである。


で、今回の記事の場合、モテ理論家教授さんの理論は、間違った事は
言ってないんだけど、合いの手を入れる相手が悪いと言うか。

なんかもっと対話を盛り上げる対話の仕方もあるだろうに、と思うんだけど、一つ一つの問いが浅いものに終わっているのがもったいない、って
感じかもしれない。
なんか大学の先生の割に、というより大学の先生だからなのか、人の話を
あまり聞く耳を持っていない感じなのだ。

モテたいという割に、肝心のコミュニケーション能力がこれじゃあ、
そりゃあモテないだろうというのも頷ける。
もしも私がお茶大の女子大生でも、この先生の講義はあまりとりたくない
なあって気がするし。


私自身は、以前の日記 にも書いたんだけど、今現在は別段そんなに
モテたいとはあまり思っていない。
いや、そりゃあ全くモテないよりは少しはモテた方がいいとは思うけど。

でも、最近思うんだけど、モテるかモテないかって、その人がどれだけ
モテたいと思うか?って事よりも、結局自分が相手にどう見えているか?
って事の方が重要だと思うし。

だからモテるモテないに関わらず、自分の人間なり、男なりを磨いていれ
ば、結果そのうち誰かにはモテるようになるんじゃないかな?と思うし、
前にも書いたけどもっと大事なのは、誰かに好かれる事より自分の好きな
相手に惚れられるかって事だと思うし。


え?でもそんなには長く待てない?今すぐモテたい?
でも、何かと言えばドラえもんにすがるのび太君じゃあるまいし、簡単に
モテる方法なんてないんじゃないのかな?

まあ、そう思う人がいるからこそ、この記事を含めて、モテたい人向けの
本のマーケットがあるんだろうけど。

でも、こうしたら必ずこうなる、なんて理論や方程式が成り立たないから
こそ、人が人に惹かれるのって素敵だし、楽しいんじゃないかな、と思う
のだ。



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harry [MAIL] [HOMEPAGE]

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