パラダイムチェンジ

2003年06月28日(土) 日記と等身大の自分


今回もまた、唐突な思いつきである。
果たして日記は、等身大の自分を表わしているんだろうか?

例えば、この日記を読んだ人の中に、私の事を全く知らない人がいたと
する。
その人のイメージする「私」像と、実在している「私」との間には、
一体どれ位のイメージのギャップがあるんだろうか。

また、その一方で、普段の「私」を知っている人でこの日記を読んでいる
人がいたとしたら、「○○は、一体どうしちゃったの?」と思う人も
少なからずいると思うのだ。

少なくともここに書いてある内容のような事を、普段会っている人との
日常的な会話には、はさんだりはしないし。
というより、ここで書いてある内容を、普段の日常会話にするには、
やはりちょっと重いと思うのだ。

なので、この日記の存在を知っている人との会話でも、この日記に書か
れている内容は、大体ほっとかれている事が多い。
まあ、そんなにつぶさに読んでいる人も稀だとは思うが。

では、この日記に書かれている「私」は、日常生活から全く切り離された
「私」であるかと言えば、そんなことはない。

これも立派に?「私」の中の一部分である。

むしろ、普段私が日常生活を送ったり、何かを考える上での、基礎的な
部分である、とでも言えばいいかもしれない。
すなわち、普段は奥の方にしまわれている、私を形づくる「原型」の
一つ、とでも言えばいいのかもしれない。

ただし、これはあくまで私の中の「一部」であり、「大部分」ではない。

例えば一日の大部分を、この日記の内容を考えることに使用するなんて
事はなく、普段の日常の私は家事や、仕事や、趣味娯楽に忙殺される
毎日を送っている。

では、この日記に書かれているような事柄は、一体どんな時に考えている
んだろうか。

大抵の場合は、朝起きて、駅まで歩く道のりであるとか、その後電車に
乗り、ボーっとしている時間であることが多い。
そしてそれを仕事場について、仕事を始めるまでの時間に簡単なメモに
起こしている。
そうしないと、思いつきは忘れてしまう事が多いんである。

で、実は朝起きて、ご飯をちゃんと食べて、きれいさっぱり?身づくろい
をして気分転換した後の駅までの歩く道のり、というのが、実は最も
考えがまとまる時間なんじゃないのかなあ、と思うのだ。

これが仕事が終わった後、帰宅するまでの道のりでは、そんなややっこ
しい?事なんか考えたくもないし、第一アイデアも身体が疲れていると
そんなには生まれてこない。

でも、朝、出勤する前の時間だと、一応、十分な睡眠が取れていれば、
疲れもとれているし、朝ごはんを食べていれば、脳への栄養もバッチリ
取れているから、頭もはっきりしているし、身づくろいをしていれば、
さっぱりしているので、気分爽快でアイデアも出やすくなる。

また、駅までの道のりは、さすがに本を読みながら歩くわけにもいかない
から、手持ち無沙汰であるし、別に音楽を聴いていたから何かを考えられ
ない、という事もなく、むしろそれがいい刺激になることもある。

で、もう一つは歩く、という事と何かを考える、という事はいいコラボ
レーション?というか、不思議な相乗効果を生んでくれるような気が
するのだ。

歩きのテンポと、こうして文章を考える時のテンポって、似ている気が
するんだよね。

だから、私が考えにつまったり、書くのに詰まったりした時は、歩行の
リズムを思い出すことにしている。
そうすることで意外とすらすらと、筆?が進んだり、メモには書き忘れた
事まで思い出してきたりするのだ。

だから、もしも私の文章を読む人が、私の文体に一定のリズムを感じた
としたら、それはおそらく、私の歩行のリズムであるかもしれない。


さて、歩行(散歩)と書くこと、考えることの因果関係は、実は私だけで
はなく、多くの人が指摘している。

例えば作家の池波正太郎は、自分のエッセイの中で、自分の創作方法は、
まず導入部だけを書いた後、散歩をすることでその後の展開を考えると
書いている。

他にも、例えば元ラグビー日本代表監督の平尾誠二は、考えに詰まった
時は、裸足になり、カーペットの幾何学模様に沿って歩くと、アイデアが
生まれてくるらしいのだ。

で、もう一つ、歩行をしながらものを考える事の利点は、ただ机の前に
座って物を考える時に比べて、発想が飛躍しすぎない、という事があげ
られると思うのだ。

すなわち、何かを想像するにしても、それがあまり実感のない方向には
行かないというか。
この辺に関しては、またいずれ、考えがまとまった時にでも。


で、話が大分、それてしまった気もするので、元に戻してみる。

では、その朝の貴重な?時間を割いて考えた話が、何でこういう話になり
しかもそれをウェブサイトで公開なんかするのか。

どうせ書くなら、普段の日常生活や、近況を記している方が、よほど
普段の私をよく知る人にとっては、有益なんじゃないのか、と思う人も
いるかもしれない。


うん、でもね、もしもそういう話だけだったら、多分私が読み返した時に
あまり面白くはないんである。

以前の日記で、私が想定している読者の5割が自分自身であることや、
また、私が感動したことを伝えたい、という話を書いたんだけれど、
それと全く同じ理由が、そのまま当てはまるのだ。

私が読み返して面白いと思うくだりは、その出来事に対して、当時の私が
どう思っているか、というくだりであるし。

で、逆に言えば、ここに書いてあるような話は、そのまま周囲の人に
しても、大抵の場合は伝わらないし、むしろ、そういう話よりは、日常に
根ざした話題を多くしたいとも思うのだ。

だから、この日記はその行き場のない?思いを綴っているといえるのかも
しれない。
なので、私にとってのこの場所は、「王様の耳はロバの耳」に出てくる
切り株だか、根っこの役割、といえるのかもしれない。


でも、その一方で、そんな風に自分の思考のアウトプットを絶えずする
事で、私の頭の中は段々と整理されてきているし、それが自分の仕事上の
いい発想にもつながってきているような気がするのだ。

普段は「語られない言葉」を形にすることで、何を語る必要があるのか、
という事がはっきりと形になって表れてくるような気がするし。

そんなわけで、普段の私を知っていて、「○○どうしちゃったの?」と
心配をしている人がいたら、どうぞご心配なきよう。
意外とバランスとりながら?やってます。


ただ、これからの蒸し暑い時期に、こんだけややこしい事を考えられる
のか、ついでに読みたいか、という問題もなきにしもあらず。

なので、やっぱり夏場はちょっと軽めに抑えるかもしれない。


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