パラダイムチェンジ

2003年06月05日(木) ナイーブな人(18)イマジン

さて、という事でいよいよこの長かったシリーズも終わりになる。

今までちゃんと読んでくれた人が、どれくらいいるのかはわからない
けれど、読んでくださった皆さん、どうもありがとうございました。

最初は10回位で終わるかな、と思っていたのが、そこは素人の悲しさ?
結局18回にも長引いてしまった。

長引いた分、ちょっと冗長な感じになってしまったけれど、
ナイーブさに関する、私の考えは、ひとまず区切りがつけられたようだ。


さて、そもそも何でこんなことを書こうと思ったのか。
その動機の一つは、このシリーズの最初に記した白装束集団は、何で
あんな行動をしたのか、そして何故、マスメディアは一見どうでも
いいような集団の行動を執拗に追い回したのか、という事だった。

あの事件は、今ではもうすっかり過去の事になってしまっているけれど、
結局は、自分の理解しがたいものが側にいることに対する嫌悪感、としか
いいようがないほどの生理的な拒否反応だったような気がするのだ。

それでは一体、何故その嫌悪感は生まれ、その一方で子供たちの問題や
ら様々な問題に対しては、私たちは問題の目を向けないのか、それは
もしかすると、日本人は他者と付き合うのが下手であるとよく言われて
いることと関係するんじゃないかな、と思ったのが始まりである。


そして、もう一つの動機。それはネット集団自殺の問題だった。
彼らは何故、誰かと一緒に自殺をしたいと思うのか。
彼らを自殺に駆り立てるものは一体なんなのか。
それは単に時代の閉塞感という、時代のせいにすればいい問題なのか。
それとも、何か出口は見つからないのか。


おそらく、この二つに対して、養老孟司はこういうのかも知れない。
それこそ現代社会が、身体的な感覚を忘れ、脳の中の意識だけで生活
すると思い込んでいる「唯脳社会」の問題であると。
で、あるならば、私たちは一体どうすればいいのか。

そのヒントの一つは、前回の最後に取り上げた、藤田宜永のインタビュー
記事の中にあると思う。
それは、「ネックは"傷つきたくない"という気持ちの裏返しである、自尊心の高さ」であり、また、「情報を集めすぎて、臆病になっている」事であり。

そしてそのための解決法としては、
「もっと動物になって直感を信じたほうがいいよ」であり、「胸が高鳴ったとき、思い込みでどこまでバカになれるか。それが惚れる力であり、ひいては生きる力だと思うな」であると思うのだ。

このシリーズでも度々引用してきた、河合隼雄と吉本ばななは、「なるほどの対話」 の中で、こう言っている。


河合 吉本さんの作品を読んで、手紙を書いてくる人が多いということ
   ですが、そういう人たちに対して何かメッセージというか、言っ
   てあげたいことはありますか?

吉本 私自身も彼らと同じように、いま何かを探しているところなの
   で……、そういうことがいいのかもしれないですが。

   その子たちには特徴があるような気がしています。すごくみんな
   素直で、打たれ弱いっていうのかな、ちょっと「ピシッ」と言う
   と「ピューッ」と引いていっちゃうところがある。世の中に対す
   る皮膚が薄いような感じがするんですよね。

河合 それ、いい表現ですね。

吉本 私などは歳いって分厚くなっているから、いいのですが。皮膚の
   薄さがあって、そこに感性の世界というのもあって、ちょっとだ
   け免疫をつけて丈夫になった方がいいのではと思います。

河合 おっしゃるように、強くなければダメ。ダメなんだけど、いわゆ
   る「強い人」というのは感受性がないでしょ。そこを間違わない
   ように。いろいろ感じ取りながら、別に傷ついたって構わないん
   だけれど、傷ついたままで戦うというか、これが必要なわけです
   よね、次のステップが。それは、吉本さんの言われた「いかに折
   り合いをつけるか」という言い方をしてもいい。感性を自分のな
   かにグッと持ってくるというか。

吉本 そういう感じがあると、もっと楽になれるんじゃないかと思いま
   す。それと、もう少し肉体的な感覚を磨くというか、寒かったら
   こう感じるとか、そういうことに敏感になると、たぶんそういう
   ふうに変わっていくと思います。

河合 いまは身体的な感覚から少しずれたところにあるので、自分のも
   のになりにくいんですね。

吉本 ケガしたら痛いよーとか、治っても三日は動きにくいよ、とか、
   そういうの。

河合 そうそう。あと「怖い」っていうのあったでしょ。

吉本 はい。本当に死ぬかと思ったこと、何回もありました。

河合 いまそれが、なさすぎるんですよ。



そして今、必要とされている肉体的な感覚とは、この引用文中の、「怪我したら痛いだろうなー」と思える想像力なんじゃないかな、と思うのだ。

怪我したら痛いかも、という感覚や、このまま転んだらちょっとやばい
かも、という「怖さ」というのは、直感であり、一種の皮膚感覚である
と思うんだけれど、そうした感覚が現在はなおざりにされすぎているの
かもしれない。

でも、それは、自分の外側にいる「他者」と付き合う上では、実は
重要な感覚だと思うのだ。

だって、例えば誰かが指を包丁でザックリ切っちゃったら、「痛いだろうなあ」という想像力が働くからこそ、なんかしてあげようかなあ、という
気持ちが生まれるし、道徳の時間じゃないけれど、「こんな事されたら
嫌な気になるだろうなあ」と思うからこそ、人をむやみに傷つけるのを
ためらうんだと思うし。

そういう感覚が育たない社会、「正直者がバカを見る」社会のように見えているからこそ、人々は漠然とした不安感を抱いているし、一部の人たちはそんな社会で生きることに絶望してしまっているのかもしれない。


また、この文章の中の「感受性のない、いわゆる強い人」とは、結局、
マッチョな人と言えるのかもしれない。
すなわち、結局マッチョな人というのは、ナイーブな人の裏返しであり、
「自分の外側にあるものに対しての想像力の欠如」という意味では、同じ
ような気がするのだ。

そして、個人的にそんな想像力のない人に対して、違和感を感じるのは、
想像力が欠けている分、自分達の分かりやすいように、シンプルな構造に
現実をあてはめようとし、結果、「無知ゆえの頑迷さ」という頭の固い
人間が出来上がることである。
こうした現象に対して、養老孟司は「バカの壁」と名づけたように思う。


で、その上で個人的に思うのは、結局、そうした頑迷さに落ち込まない
為には、結局は、自分の外側にある、時としてわかりにくい外側にある
ものと、ある時はしたたかに、ある時はしなやかに、そしてある時は
マッチョに、折り合いをつけてつきあっていく事なんじゃないのかな、
と思うのだ。

このシリーズの10回目 で引用した、香山リカの引用文の中にこんな
くだりがある。


おびただしい情報に触れ、実経験は少ないものの「世の中ってこんな
もの」という見極めがついたつもりになっている場合も多い。そうなる
と、まじめで純粋な彼らはひたすら自分の内面を見つめ、「自分らしさ
ってなんだろう?人生の目的ってなんだろう?」と考えていく。



このコラムのタイトルが「個性を追求した果てに」。
いわゆる「自分探し」の旅と言ってもいいかもしれない。

でも、それは以前この日記の「自意識」でも触れたように、自意識を
自意識的に悩んでも、答えの出ない、迷宮の世界にさまよいこんで
しまうのかもしれない。

別の言い方をすれば、このシリーズの11回目で取り上げた、田口ラン
ディの意見のように、そのパワーは「生きる方向には向かわない」スパイラルにおちいってしまうのかもしれない。


でもね、個人的にはこう思うのだ。
自分の内面が充実するかどうかは、鴻上尚史も言うように「どれだけ
他者から、自分が面白いと思う刺激を受けたか」によって変わってくる
んじゃないだろうか。

他者と触れ合い、自分が属する世界が広がっていく結果、後々で考えて
みると、自然と自分の内面にも自信が持てるようになり、他人に目を
向ける余裕も生まれてきたりする。

それこそが、自分及び、社会に活力を生む「異物を取り込む力」を活性化
させると思うのだ。


そしてその上で、あえて自分の想像力の翼を拡げるならば、
単純に自分の内側と外側を分けずに付き合っていける存在になった時、
その人は本当の「強さ」を手に入れる事ができるのかもしれない。

それは内側でも外側でもない、簡単にはカテゴライズはされない、境界線上のマージナルな存在でいるということかもしれない。

それは例えば、水(酢)と油という、相反する素材で構成されたサラダドレッシングも、よく振ってサラダにかければ、口に入れたときに別々に口にした時以上の美味しさを感じるようなものかもしれない。

そしてさらには、マヨネーズのように、酢と油が混ざり合って、簡単には
分離しない存在になるように。


それは、簡単にカテゴライズできる世界ではない故に、わかりにくく、
簡単には理解できない世界だとも思うけれど。

でも例えばある種の宗教のように、善悪や、内側と外側という、シンプルで一元的な何かに依存する形ではなく、人々がマージナルな存在でいる
ことに耐えられる強さを持つならば、そしてそんな状況でも楽しさを感じられる強さを持つならば、この世界はもっと、笑顔のあふれる世界に変わっていくのかもしれない。

それは例えばジョンレノンの名曲、「イマジン」の世界のように。

少なくとも自分の外側にあるものに対しての関心と想像力を持つことは
私たちの考えをもっと豊かにしてくれるのかも、しれない。


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