2003年06月01日(日) |
ナイーブな人(14)マッチョ |
今回も前回の続き。 それでは、私たちは自分の内側にもあるかもしれないナイーブさを、単に否定すればいいのだろうか?
ここで、ナイーブの対極にあるものについて考えてみる。
ナイーブの対極に位置するもの、それは「マッチョ」な思想といえるかも しれない。 マッチョを広辞苑で引いてみると、 「男っぽいさま、特に外面的な体型、筋肉などについていう」とある。
例えば、50年前の終戦直後、人々がナイーブであることにあまり価値を置かなかった時代。 「マッチョ」さは時代の精神であったろうし、それは少なくとも20年前の金八先生の時代までは継続していたものだと思う。
実際、その頃ひ弱な少年時代を過ごしていた私は、ひ弱さ故に結構バカにされたことがあったし。 また、その頃の人気のTV子供ドラマは、「あばれはっちゃく」というガキ大将の物語であったし、またかつてのハムのCMで、「わんぱくでもいい。たくましく育ってほしい」というキャッチコピーが時代を表わしていたように思うのだ。
現代でもマッチョな人は様々な場所にいると思う。 例えば、いわゆるガテン系な人や、各種の職人気質の人にはマッチョな人が多いと思う。
また、前にも触れた「キャリアウーマン」、いわゆる男性と伍して仕事をこなす人の中には、少なからず男勝りな「マッチョ」な女の人って、多いんじゃないかな、と思うのだ。
彼らがマッチョである理由。 それは、彼らが必ずしも庇護社会の内側には属してこなかったという事があげられるかもしれない。 そしてそれは例えば、在日外国人の人々にも当てはまるかもしれない。
ここで、いきなり話を恋愛にふってみる。
例えば、庇護社会にどっぷり浸かっているだけのナイーブな人、というのが本当にいたとして(例えばマザコンとか?)、その人と、マッチョな人との恋愛って、果たしてうまくいくんだろうか、という問題である。
例えば、規制業種のエリートサラリーマンや、キャリア官僚と、女性総合職のキャリアOLの組み合わせ。
もちろん、当人同士の相性によるところが多いだろうと思うし、実際に うまくいっているカップルも多いだろうと思うけど。 でも、あくまで想像の範疇で言えば、あまりうまくはいかない気がするのだ。
なぜなら、お互いの属する世界というか、世界の認識の仕方が違いそうな気がするから。 もちろん、どちらかがどちらかの世界に合わせればいいだけの話なのかもしれないけれど。
あくまで想像の範囲で言えば、だから「ナイーブな」エリートサラリーマンは、「マッチョ」な女性総合職よりは、より自分の世界に近いかもしれない「事務職」OLを選んでいくような気がする。
これが本当か嘘なのかは知らないけれど、同じ会社の同じ世界に属している事務職OLが花嫁候補として会社に就職していた、というフォークロア?があるのももしかするとそんな理由なのかもしれない。
ついでに想像力の翼を更に拡げてしまえば、かつて家柄にこだわっていたというのは、自分達の「ナイーブでいられる」環境を守る上で、マッチョな人たちが入り込むのを避けようとするあまりに、まだ世間も何も知らない「箱入り娘」がもてはやされたんじゃないだろうか。
さて、それではこの世界には「ナイーブ」と「マッチョ」しか選択肢はなく、「ナイーブ」を捨てた人は否応なく「マッチョ」を選択しなければならないのだろうか?
いや、実は選択肢は、まだ他にもあると思うのだ。 という事で次回。
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