パラダイムチェンジ

2003年05月24日(土) ナイーブな人(6)庇護社会のほころび


さて、今回はそれではナイーブなままでいられなくなってしまった人は
どうなってしまうのかという話。

今一番顕著に表れているのは、自殺率の増加、といえるのかもしれない。

例えば、今まで大企業に勤めていればご安泰だったのが、突然リストラに
あい、今まで庇護されていたものに守られなくなり、突然放り出されて
しまい、途方にくれてしまったからこそ、中高年の自殺が特に増えている
のかもしれない。

いくら大企業のエリートともてはやされたって、庇護社会を一歩外側に
出てしまえば、ただの人でしかないわけで。
そうなると今までナイーブでいられた分、その環境の変化についていく
気力がなくなってしまう、なんて事も自殺率が高くなっている原因の一つ
なんじゃないかな、と思うのだ。


ただし前にも触れたとおり、その庇護社会は徐々に日本から消え去りつつ
あるけれど、政界、官界、そして規制の枠内に守られている業界団体には
まだ残っているのかもしれないし、逆に言えば、こういう時代になれば
なるほど彼らは自分達のナイーブな環境を守るために必死になるだろう。

でも、その一方でその事自体が日本経済の大きなお荷物と化しているとも
いえると思うのだ。

だって、規制で守られている限り、国際的競争力なんて関係ないわけ
でしょ?
また、結局不良債権の大半は金融とゼネコンが握っているわけだし、彼らを助けるという名目で日本では多額の財政出動をしているのが現実なわけで。


でも、ここでちょっと変な事を考えてみる。
ものすごーく乱暴な話をしてしまえば、今存在している金融機関とゼネコンが、なくなったとする。
その場合、大量の失業者が生まれるわけだけれど、そうしたら同じ業種で
彼らの受け皿となるような新会社を作ればいいだけの話なんじゃないの
かな?

金融にしろ、建設にしろ、一事に比べれば斜陽産業と言えるかもしれない
けれど、その需要が全くないわけでは決してない。
そして、需要があるなら、その需要を元に暮らしていける雇用者も生まれてくるわけで。

例えばそこには海外からの参入者もあり、パイの食い合いはあるだろうけど、ここは日本という、日本語が主の特殊な環境なんだし、また例えば建設業なんかに関しては、日本独自の確かな技術力なんてのもあるんだろうし、日本の金融資産がこんなに日本の金利が安い時代でも海外へと逃げ出していかないのは、前にも触れたとおりにまだ日本という国に対する信頼があるからなんだろうし。

そうしたら、それらの規制分野で不良債権を生み続ける人たちを思い切ってスクラップ&ビルドしてみるってのはどうなんだろう?と思うのだ。

おそらく、そんな事態になって一番困るのは、それらの企業の経営陣と
天下り先のなくなる官僚と、まとまった票田のなくなる代議士と、今まで
ナイーブに自分のキャリアを過ごしてきてしまった人ぐらいなんじゃない
のかな、とも思うんだけど。


でも、例えばそれら「ナイーブでいられた」業種の人たちの中にも、
「ナイーブさ」から離れようとしている人たちもいる。

それは例えば大企業であっても、国際的な競争が活発な業種にあっては、
社内ベンチャー制度があったり、また例えばルノーの資本傘下に入った
日産や、ダイムラーの資本傘下に入った三菱自動車などは、社内に多数の
外国人上司が入ってきて、社内公用語が英語になったりして、今までの
内側の論理だけでなく、否応なく外部的な思考とも対応せざるを得なく
なってきたりとか。

また、キャリア官僚の中にも国費でアメリカ留学をした人の中から、
決して少なくない人数がMBAを取得したりして、官僚を辞めていったり
する。
これなんかは外の世界を見ることで今までのナイーブさにプライオリティ
を置いていたぬるま湯的社会から脱却しようとしていると言えるのかも
しれない。

おそらくは、ここにあげた例だけでなく、そんな風にナイーブから脱却し
ていく流れは、他にも沢山あるだろうし、今後の主流へと変わっていく
んだろうなあ、と思うのだ。


また、その一方でこの「庇護社会」の中で今までナイーブな「内側」から
排除されてきた人々、というのも存在するかもしれない。
わかりやすい例で言えば在日外国人であったり、そして女性であったり。

近年、男性より女性の方が元気であると言われている理由の一つには、
男性は今まで庇護社会の中でぬくぬくと育てられてきたけれど、例えば
女性総合職で、バリバリ働くキャリアウーマン、みたいな人はその「内
側」から疎んじられる存在―なぜなら彼女たちを受け入れることは自分
たちの社会に変化を生じさせることだから―であったが故に、女性が
バリバリと働こうと思うには、自分達のナイーブさを脱ぎ捨て、男性より
も強い意志を持って仕事にあたる必要があったからじゃないかな、と思う
のだ。

それは、女性総合職だけに限らず、近年医療関係でも、女性の志願者の
数が増えていたりとか、職人に人気が集まっていたりとか、「手に職」
を持ちたいという傾向が強まっているようにも見える。

一般的に、男性はまだナイーブさを保てる環境にいたがるのに対し、
女性は男性社会という、自分の外側にある社会に参加しようと思う場合、
そのナイーブさを捨てたほうがいい方向にプライオリティが働くからこそ
女性は強いと思われるのかもしれない。

またはこういう変動期だということを男性よりも敏感に感じ取っている
のかもしれない。


なんか話が思わぬ方向に行ってしまったような気もするが、
そもそも私がなぜ、こんなことを感じるようになったかといえば、私自身
がナイーブでいられた環境、すなわち給料をもらう立場から、自営業に
変わったって事があるかもしれない。

ナイーブな経営者って、やはり大きな成功は得がたいと思うし。
でも、まだまだナイーブな一面は自分の中にもあるわけだけれど。

ただ、ここで一つ疑問が起きる。
では、ナイーブさは全て捨て去ったほうが果たしていい社会になるのだ
ろうか、という事である。

というより、ナイーブさの入る隙間のない社会というのは、単にギスギス
した社会になるだけなんじゃないだろうか?
そして、今まさにそんな社会になりつつあるからこそ、人は将来に不安を
覚えているんじゃないんだろうか?

という事でまだ続く。


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