2003年05月22日(木) |
ナイーブな人(4) 規制の中の人々 |
今回はナイーブな人の4回目。 前回は「庇護社会」という考えを取り上げ、それが段々と崩れつつある んだけど、一部にはまだ残っているという話で終わったんだった。
ちなみに前回取り上げた「存在の耐えがたきサルサ」の中の村上龍と、 妙木浩之の対談と、内容的にかぶっているところがあるかもしれないのを お断りしておく。
さて、それでは今でも「庇護社会」が残っている場所とは一体どこなのか。 その主たる場所は「永田町」と「霞ヶ関」だろう。
政治家がナイーブ?ってのは不思議に思うかもしれないけれど、思い当 たりませんか?「加藤の乱」とか「鳩山兄弟のドタバタ劇」とか。 あくまで理由なき抵抗しているようにも見える「抵抗勢力」とか。
すなわち、「地盤・看板・かばん」の三拍子揃った二世〜三世?議員たちって言うのは、選挙落ちたらただの人と言われても、あまり苦労は知らないかもしれないので「ナイーブな」ままでも全然いられる人たちかもしれない。
永田町の論理なんていう「内側だけにしか通用せず、国民とは乖離して いるかもしれない」独特の論理なんていうのもあるみたいだし。
彼らが大手を振ってのさばって歩いている限り、もしかするとこの国の 政治的状況は一向に成熟はしないのかもしれない。
そしてもう一方の官僚。 例えば、外務省の対外交渉における体たらくぶり、なんていうのは、一連 の北朝鮮問題の対応を見ているだけでも見えてくると思う。
また、「道路公団」やら、失業保険基金の無駄遣いぶりなど、特殊法人 なんていうのは、一種の「武士の商法」で、自分達の利権を内側で囲う 事で、どんなに社会主義的な非効率な経営をやっていて、どんなに負債が 生じても、それは国費で補填してくれるというし、この失業率の高い時代 に自分達の再就職先にも困らないという、究極の「庇護社会」。
そりゃ、いくら外側から理性で説得しようとしたって、特殊法人改革なん てできっこないだろう。 だって、その利権を手放したら、路頭に迷うようなもんだもん。
で、もう一つ、ナイーブなままでいられるかもしれない人たちがいる。 それが規制業種の人たち。 すなわち、ゼネコン、金融、教育、病院、そしてマスメディアの人たち である。
このうちの、ゼネコン、金融なんて、それこそ膨大な不良債権を生み出し ても、そんなに経営責任を問われていない人たちであり、お上頼りの経営 をしている人たちなわけで。 それでも彼らが生き残っていられるのは、やはりナイーブなエリートかも しれない官僚や、政治家たちと結託しているというか、親和性が高いから かもしれない。
また、病院に関して言えば、この間の構造改革特区で日本医師会が株式 会社の参入を強硬に反対していたことも記憶に新しい。 基本的に「診療報酬」というお上が決めた「飯の種」となるパイが決まっ ているから、この先、新興勢力が参入することは、自分達の飯の食い上げ につながることは目に見えているわけだ。 美容整形など、保険外診療を行なっているところ以外はどこも現状でも 苦しいわけだし。
でも、あえて言えば、経営のプロフェッショナルでない人たちが経営を しているからこそ非効率になって経営的に苦しいんじゃないの?という 気もするのだ。
もうちょっと経営が効率よくなれば、例えば人件費を下げなくてもちゃん とできそうな気もするんだけど。 ついでに言ってしまえばもう少し給料は上げてほしかったけれど。
学校に関しては、実はよく知らない。 でも、現在学級崩壊なんて事が言われている背景には、今までの学校教育 に慣れていて、子供たちの変化に柔軟に対応できない教育行政やら現場 の人たちの態度がナイーブな問題として見えているような気もするのだ。
で、彼ら規制業種の「ナイーブな」人たちには、もう一つ不名誉な印象が 最近は付けられていると思う。 それは、彼ら規制業種の人たちのセクハラや痴漢報道がやたらと目立つ という事である。
いや、もちろん、普通の人たちよりニュースバリューがあって目立ちやす いだけで、他の業種の人たちのセクハラやら痴漢も沢山あるという事なの かもしれないけれど、それでも多すぎはしませんかね?
こういう事件が多いという事は、それだけ彼らの中にこういう問題に対して鈍感な「ナイーブ」な人たちが多いという証拠なんじゃないだろうか。
そして更にここで論理を飛躍させると、 典型的なというか、ステレオタイプな「オヤジ像」って、ナイーブなまま 大人になっちゃった人といえるんじゃないだろうか。 実際に見たことはないけど、街で制服姿の女子高生見たらいきなり援交 せまるオヤジとか。
でも、そういうオヤジのナイーブさっていうのを子供の方では見抜いて いるからこそ、ダサいと言うか煙たがられちゃうんじゃないのかな。 パンツ箸でつままれて傷ついたりとか。まあ箸でつまむほうもナイーブ かもしれないけれど。
話を元に戻すと、こんな風に今までの「庇護社会」の中の日本では、ナイ ーブな人たちは、その内側にいられる限り、ナイーブなままでいられたし 守られているという安心感を得ることができていたんだと思う。
でも、問題になるのは、今度はそれこそパラダイムチェンジが起こり、 今まで庇護してくれていたものが機能不全になった時、ナイーブなままで いる事ができた人たちは、一体どうするんだろうという事だと思うのだ。
という事で次回。
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