2003年03月29日(土) |
トライ&エラー(3) 傷つくこと |
さて今回はトライ&エラーに関して、思いついたこと。 多少の自戒を込めて書くと、人がトライ&エラーを恐れる理由の中に はもしかすると、他人を傷つけることよりも、ミスをすることで、自分 自身が傷つくことを恐れる気持ち、なんてのがあるのかもしれない。
誰だって、自分がある種の勇気を絞ってトライしてもそれが結果に 結びつかず、無駄にしてしまった、と思えば傷つくだろうし、 何も始めから、自分から傷つきたいと思う人はそんなにいないだろう。
話が多少脱線すれば、例えばいわゆるSM関係のマゾ、の人だって、 自分が傷つくことだけが喜びなんじゃないだろうと思う。 多分、そこには自分が傷つけられる事の代償として、そうしなければ 得られるものがあるからこそ、傷つけられても平気なんじゃないだろ うか。 いや、自分はマゾじゃないんで本当のところはよくわからないけれど。
でも、人間が他人と人間関係を築いていく上で、自分も、そして他人も 傷つかない関係でいられるって事のほうが稀だろうと思うのだ。
例えば、ただの友達だとか、ただの知り合い、なんて関係だったら、 お互いに傷つけあうことは少ないかもしれないけど、やっぱり時には どっちかが我慢することはあるかもしれない。
もしも、本当に自分が一切傷つけられない世界を望むのなら、それは 引きこもるか、もしくは極端なマザコンのような親子関係に閉じこもる しかないのかもしれない。
でも、おそらく多くの人はそういう、お互いに傷つけあわないですむ 関係でいることにある種の快適さを感じている部分もあるのかもしれない。
でもその反面、だからこそ本音を語り合える親友っていうのが、でき にくい世の中になっているし、そしてだからこそネット上で、自分の 本音を聞いてくれる他人、という存在を求める人が増えているのかも しれない。
でも、一方でお互いに傷つけあいたくない、というある意味ライトな 関係を望みながら、もう一方ではそんな関係にどこか空虚さを感じて しまう自分がいたりもする。
人間関係で、トライ&エラーを行えば、そこにエラーがある限り、 自分も、他人も多少は傷つく。
でもその場合、大切なのはどう傷つくのかって事と、そして傷ついた 後、どうするのか、って事のように思うのだ。
どう傷つくのか、って事に関していえば、前向きに傷つくのか、それ とも後ろ向きや、及び腰で傷つくのかが問題になると思うし、 そして、傷ついた後どうするのか、って事に関して言えば、傷ついた 事に対して自分で何とかできるのか、それとも他人に癒してもらわな ければならないのかって事だと思う。
で、少なくとも個人的にはこう思う。 結局は、エラーがあって、多少相手や自分を傷つけたとしても、 それを引き受けるというか、なんとかしようという覚悟を持つことが 必要なんじゃないかな。
そのためには自分が傷つく時に腰が引けているよりは、前向きに傷つく 方がいいだろうし、傷ついたり傷つけてしまった後、何とかしようと 思うのなら、傷つくにしても、その傷をできるだけ小さくしようという 知恵が必要になってくる。
そういうのが落とし前をつけるって事なのかもしれない。 で、話をいきなり現在の国際情勢に振ってしまうと、例えばアメリカ 政府やアメリカの国民や日本政府に、それだけの覚悟が本当にあって 武力介入に踏み切ったり、そのことに賛成したんだろうか、なんて 気になるのだ。
もしもそれだけの覚悟があってイラクを傷つけたとしても、その当初の 見積もりが本当に甘いものだったら、その傷はどんどん大きくなって しまうし、どうにかしたいというその思いも、相手にとって説得力を 全く持たないか、ただの余計なお世話になったりもする。
それは結局、ただの無駄でしかないのかもしれない。
話を、人間関係のトライ&エラーに戻せば、 結局、自分が傷つくことに対して、何にも対処のできない人が、他人の 傷を癒すことは難しいんじゃないかな、って気がする。
だから、少なくとも自分が傷つくことは恐れず、それを何とかアジャス トしていけるような人間でいたいと思うのだ。 多分、前向きに傷つける人だけが、傷つく事によってしか得られない ものを手に入れる権利を持つんじゃないかな。
そしてその覚悟を裏付けるものは、傷つく事を何とかするための、 小手先のテクニックではなく、そこに居続けるという意志なんじゃ ないかな、なんて思うのだ。
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