2003年03月20日(木) |
「血を流す我々こそ戦争を嫌っている」 |
とうとう英米軍が直接軍事行動を起こした。 おかげで本日は8年前、地下鉄サリン事件のあった日であるにも関らず、 全てのニュースはイラク紛争一色になってしまった。
このことに関して、今日書きたいと思うのは今朝読んだ朝刊の中の こんな記事のことだった。
3月20日毎日新聞8面「血を流す我々こそ戦争を嫌っている」
ゆれる気持ちは兵士も同じだ。ある兵士は、 「ワシントンの政策決定者に、われわれの気持ちが分かるはずがない。 血を流し、命を失う兵士こそ戦争を嫌っている」と明かした。 別の兵士は、 「ブッシュ大統領は、われわれが正しい行動をするための正しい決定を 下すと信じている」と自分に言い聞かせた。
この殺風景な砂漠にあるのは、死を恐れ、一日も早く家に帰りたがる 普通の人間の姿だけだ。国境の向こうのイラク人は、もっと大きな恐怖 におびえているだろう。(略)
「みんな狂っている」と独り言を言うと、隣に立っていた兵士が「そう だ。あなたも私もみんな狂っている。狂わずに、どうしてこんなことが できるのか」と小声で応えた。(略)
例えば私が、自衛隊幕僚出身の軍事評論家、志方俊之あたりにうさんく ささを感じてしまうのは、軍人出身でありながら、こうした現場の声と の乖離である。 もちろん、実際の戦場で戦う人たちと、それを後方で指揮、運用する 参謀たちでは、感覚が異なるのは当たり前だろう。
参謀とは、どれだけ自分たちの仲間である友軍兵士の命が失われようと 決して感情的にはならず、数値としてその損害を考えなければならない という話を、確か司馬遼太郎の話で読んだことがある。 逆に変に感情的になり、例えば包囲されてしまった少数の兵を救うため に部隊を動かし、結果としてその戦闘に負けてしまっては元も子もない。
でも例えば、湾岸戦争当時の指揮官であり、現国務長官のパウエルは、 今回の武力行使に対して、おそらくは政権内部で一番消極的だった人 である。 それは、自らが指揮した軍隊でそれがいかに最小限の犠牲であったと しても、自分の掛け声一つで多くの人が死んでいくということがどう いうことであるのか、よく知っているからのような気がするのだ。
今現在、アメリカも日本も、徴兵制ではなく職業制の軍隊となっている。 つまりは、いざという時には、任務のためには平気で人を殺すことを 職業にしている人たちであるわけだ。
でもだからといって、むやみやたらに誰かを殺したいと思っているわけ ではないだろう。むしろそういう職業について、自分の命を、そして 他人の命が奪われる瞬間がやってくることは否が応でも意識しなければ ならない職業であると思う。
であればこそ、できればその瞬間が訪れるのは、遅くなってほしいと思 うだろうし、その行動に対して何らかの迷いの起こるような曖昧なシチュ エーションに自分の命や他人の命を預けるのは勘弁してほしいと思う ような気もするのだ。
だって、将来、お父さんは国を守ったんだよ、と胸張って言えるなら ともかく、お父さんはよその国に人を殺しに行っていろんな国から非難 されたんだよ、とは子供には言いたくないだろう。
いかに戦場の駒だったとしても、せめて誇りの持てるシチュエーション を、その戦争を企図したものは用意する必要があるんじゃないだろうか。
そして問題は、米国軍隊の最高司令官であるブッシュ大統領の事である。 もしも彼が一兵卒としてベトナム戦争に従軍していたら、一兵士として 戦争の極度の緊張を味わっていたとしたら、果たしてこの軍事行動を 起こしただろうか。
戦場にはかけがえのない命も沢山存在するということを、せめて指揮官 は心のどこかにとめておく必要があるんじゃないかな、と思うのだ。
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