2003年03月19日(水) |
日本的な、あまりに日本的な |
今回は前回の続き。日本の立場について。
さて結果として小泉首相は、ブッシュ大統領の記者会見の後、直ちに 国連安保理の承認なしでも、アメリカの武力行使を認めるという、 一見アメリカ盲従の態度表明を行った。
その理由について、党首討論では、相当突っ込まれていたようだ。 でもなー、党首討論って、結局は与野党いずれも結局はスタンドプレー というか、大いなる茶番の域を抜け出てないと思うんだけど。 あそこでいかに突っ込まれようが、もう日本のとるべき道はこれしかない とあらかじめ定められているんだと思うし。
3月18日の毎日新聞朝刊の中に、こんな記事 が載っていた。 その中で面白いのは、与党幹部たちの一行コメントだろう。 ちょっとだけ紹介すると、
◇新決議なしの武力行使に対する与党内の反応(上から順に積極的)
◆中曽根康弘元首相 「国連は国の利害関係が結びついている。日米同盟優先が当たり前だ」
◆山崎拓自民党幹事長 「アジアの平和を脅かす最大要因は北朝鮮の核開発。支持以外にない」
◆麻生太郎自民党政調会長 「隣国の脅威がない仏独と日本は立場が違う。頼りは日米安保のみ」
◆宮沢喜一元首相 「これまでの米支持はイラクへの圧力。戦争するしないの議論はして いない」
◆野中広務自民党元幹事長 「米の行動を否定できないが、唯一の被爆国として核否定を明確に」
◆神崎武法公明党代表 「武力行使自体に反対の人も多い。ギリギリまで国際協調の追求を」
◆古賀誠自民党前幹事長 「戦争回避に何ができるかを基本に。そのメッセージがなく残念」
これらの意見を見ていて面白いのは、より現場というか、次の総理なり 選挙を戦おうと思っている人たちの意見のほうが、より消極的というか 世論に擦り寄っていることだろう。
いまや国費で名誉職やっている中曽根大勲位なんざ、世論よりは自分の 頭の中の抽象的な枠組みの方が大事らしい。 これら、たった一言の意見に日本が現時点で置かれている立場と いう物が如実に現れていると思う。
すなわち、北朝鮮情勢もあやふやなこの時期、独自の戦力としては甚だ 心もとない戦力しか持ち合わせていない日本としては、何があろうとも ここは日米安保を基調とした、アメリカ支持をするしかない。
今現時点で、日本が考えられるオプションは、結局はこの一つしかない のかもしれない。 何より、日本ほど国際的な駆け引きの下手な国はないのだし。
でもね、個人的に思うのは、政治は結果よりも、どういう経緯でそう いう結論に至ったか、というプロセスの透明性こそが大切なんじゃない かなあ、と思うのだ。
なんでそう思うのか。これはちょっと前の、やはり毎日新聞に連載され ているTVコメンテイター、岸井成格のコラム を読んだときのこと。
「なぜ日本はアメリカにハッキリ物が言えないのか、いまCMの間に岸井さんの説明を聞いて分かりました」(略) 「日本政府は一貫して国連中心の平和解決を望み、一方でアメリカに 自制を求め、他方で国連が一致してイラクに圧力をかけ続ける必要性 を説いてきた。この姿勢は間違っていないと思う」
問題は、なぜ政府はそうした経過を国民に分かりやすく説明しないのか、 またアメリカの自制でなく武力行使反対と言えないのか、ということだ。
「仮に自制でも公式の場で要請すれば、アメリカ側はどう反応するか。 特に米政府、議会の保守派、強硬派を刺激して『自分の国も自分で守 れない国が生意気なことを言うな。北朝鮮の脅威が現実になって、 急に助けてくれと言ってきても助ける義務はない』となり、全く次元 の違う日米同盟の危機を招く」(略)
政府としては世論もあり、国連の承認を得ていない、アメリカ単独の武 力行使という事態を、簡単に肯定することはできない。 できれば、武力行使をするならば国連の承認下という枠組みで追随した かったんだと思う。 外務省をはじめとする日本政府と与党の主要幹部は、まさか国連決議を アメリカが取り下げる事態にまでなるとは夢に思わなかったのかも しれない。
だから水面下ではアメリカに対して自制を求めつつも、旗色を鮮明には ある時点まではしようとしなかったし、そして自分たちの発言力もある 程度あると自信を持っていたからこそ、国連で率先してアメリカ支持の スピーチを行うという、かつてない事までしてみせ、国内的には、小泉 首相が「戦争がいいなんて、誰も思っていない」という言葉で何とか かわしつつ、国連で承認がなされれば、それを錦の御旗にすればいい。 おそらくはそんな筋書きだったのかもしれない。
でもね、ここで一番問題にしないといけないのは、外向きには 「本当はいけないことだと思っているのに、表立ってそれをいうとアメ リカの機嫌を損ねるかもしれないから言えない」という弱腰の姿勢と、 「国民はだまってお父さんたる自分たちについてくればいいんだ」という 内向きには強気の姿勢だろう。
この二つ、きわめて日本的な態度だと思うのだ。 前者は、まるでいじめられっ子の考えかただし、後者にいたっては、 まるで時代遅れの父親像である。
しかもこの二つが、組み合わさっているのが情けない。 まるで、内弁慶だけど会社ではその立場がからきし弱いリストラ寸前の サラリーマンのお父さん、そのものじゃないかと思うのだ。
このままだとやばいなあ、と思いつつ、例えば会社ぐるみで輸入牛肉の ラベルを冷凍庫で張り替えた人たちと、一体どこが違うというのか。 それで家庭内では虚勢を張っていたって、そんなの家庭はますます閉塞 感が増して荒れるだけですぜ、旦那。
「世論に従った政治を行うと間違うこともある」 確かに世論が間違うこともあると思う。でも、それならば自分が間違っ ていたとしたら、一体そのことに対してはどう責任というか落とし前を つけるんだろうか。
問題はただ単に政治家の首を切ればすむ問題ではなく、むしろその背後 で、失敗を失敗と認めないが為に、歴史や失敗に学ぶことができないで いる官僚機構にあると思う。
そのためにこの国では、建設的な総括、すなわち効果的なトライアンド エラーができないでいるような気がしてならない。 そしてそれこそが、この50年間で日本が失ってしまったもののような 気がするのだ。
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