2003年02月02日(日) |
スペースシャトル墜落 |
スペースシャトルが墜落してしまった。 様々な要因が考えられているみたいだけど、今のところ有力なのは 発射時、外部燃料タンクの外壁が欠落し、それが左翼に当たったことで はないかと考えられているようだ。
どれくらいの破片が、どのくらいの衝撃で、左翼に当たったのかは 判らないけれど、そのダメージは、再び大気との摩擦には耐えられ なかったのかもしれない。
でも大気圏突入前に、そこに不具合があることが判っていたとしても、 現状では代わりのシャトルを飛ばすことも、そして船外活動で修理を 行うことも難しかったと思うから、その事を知っている人は、どうか 無事に地上に降りてくれることだけを願っていたんじゃないかと思う。
この前、たまたま昼間見たドラマ「まんてん」の中で、宇宙飛行士の 採用試験を受けた藤井隆が、「宇宙飛行士になるってことは、お前は 宇宙で死ねる覚悟があるかってことなんだと思ったわ」って台詞を 言っていたのを思い出した。
7人の宇宙飛行士と、その家族、そしてその関係者の人に哀悼の意を 表したい。
今回の背景として、様々な人がNASAの予算削減を挙げていた。 宇宙に人を上げること。それはいかに国家プロジェクトとは言っても 莫大な予算がかかるものらしい。
大げさに言えば人類史上、有人ロケットを打ち上げたのは、アメリカと ソ連/ロシアしかないのだ。 今現在、中国も計画はしているみたいだけど。
スペースシャトルが出来た20年前、その飛行機然とした外観から いつかは簡単に宇宙に行けるような、そんな期待を感じさせてくれた ような気がする。 例えば「2001年宇宙の旅」の冒頭、PAN-AMのスペースシャトルが 人を軌道ステーションまで運んでたように。
でも実際問題として、人が住めるような環境を地球外に作ること、 そして、そのために宇宙と地上を、往復すること。 それがいかに大変なことなのか、今回の事故は教えてくれたような 気がするのだ。
スペースシャトルは少なくとも50回〜100回の再使用に耐えられる ように設計されていた。 ただし、いまだかつて50回の使用に耐えた機体があったわけではない。 事故を起こしたコロンビア号が、その記録を伸ばし続けてきていたのだ。 その耐用性が実際どれくらいなのかは、机上の計算では結局わからない ものだったのかもしれない。
スペースシャトルに耐用年数があるように、私たちが普段利用している ジャンボジェットにも当然、耐用年数はある。 ただし、普段私たちがそうしたことを考えなくていいのは、多くは 耐用年数を経る前に機種変更が行えるからだ。
スペースシャトルの場合、減価償却が見込めるほど、商業的ベースに 乗っかっているわけではない。 スペースシャトル一機の建造およびそのランニングコストとマンパワーに どのくらいかかるのかは知らないが、おそらくは計り知れない金額 なんだと思う。
もちろん、NASAとしては将来的にそれこそジャンボ旅客機や、 貨物輸送機のように、商業ベースに乗せることを考えていると思う。
でも、人一人を宇宙に上げるために多大のコストが払われる限り、 人々が気軽に宇宙を旅することが出来る時代が来るのはまだまだ 先なのかもしれない。
そして逆に言えば、それだけ我々生物が地球という環境、すなわち 水と空気と大地、に守られているか、ということなのかもしれない。 我々は1Gという重力に生きるのに最も適した構造をしているんだとも 思うし。 ただし、これは人類が宇宙を目指す意味がないと言っている訳ではない。
宇宙は人類最後のフロンティアである、とよく言われる。 かつて鳥が大空を羽ばたく姿を見て、人が飛行機を発明したように、 そこに未知の世界があれば、それを目指すのが人という存在だと思う。
それは氷河期、ユーラシア大陸の東の果てまで来た人々が、更なる大地を 求めて、氷の海を渡り、アメリカ大陸を目指したように。 または、アメリカの開拓時代、ゴールドラッシュもあったにせよ、人々が こぞって、西海岸を目指したように。
果たして宇宙に、金塊が眠っているのかどうかはわからない。 かつてのフロンティアは、人類にとっての発展のきっかけであったと 同時に、数多くの名もなき人々によって築き上げられたものだと思う。
今回の事故を、貴重な犠牲であると一概に言うことは出来ないと思う。 でも問題はこの事故という最悪の結果から、私たちが何を学ぶかなんじゃ ないかな、とも思うのだ。
|