2003年02月01日(土) |
同一の遺伝子は同じ夢を果たして見るのか |
クローンベイビー、なんと今度は日本人の親から生まれるらしい。 事の真偽はともかくとして、これを発表した宗教団体としては、 また、新たな信者を獲得することには成功しそうな勢いだ。
しかし、幼くしてこの世を去った子供の遺伝子を使って、 クローンの子供を作るとは、よくぞ考えたものだ。 それが技術的にどんなに問題があり、それを行うことにどんなに お金がかかろうとも、突如として失ってしまった子供を甦らせる 事ができるなら、惜しくはないと思う親は多いかもしれない。
あのホラー映画「リング」の続編で「らせん」という作品がある。 ホラー作品としてはあんまり怖かった印象はないんだけど、 この小説の中に同様の話があったことを思い出した。
自分の不注意から、子供を死なせてしまった主人公に、 復活した貞子が甘い誘惑をかける。 前作の最後で死んでしまった高山竜二を復活させるかわりに あなたの子供も生き返らせてあげますよ、と。
まさにフィクションと同様の事が行われる時代になってしまった。
さてクローン技術、実は大いに問題のある技術であるらしい。 生まれてきた赤ちゃんが、病気に罹りやすかったり、母体にも 悪影響が出やすかったり。 ただ、私が問題にしたいのは、もっと別の問題である。
クローン技術とは、要するに遺伝子をコピーするわけだから、 生まれてくる子供は同一の遺伝子を持っていることになる。 でも、同一の遺伝子を持っている=同一の人格になるわけでは ない、という事が見過ごされている気がするのだ。
なぜなら、何もクローン技術に頼らなくても日常の世界で同一の 遺伝子を持った人間に出会うことはできるからである。
答えは双子。 一卵性双生児は実は全く同一の遺伝子を持っているらしい。
でもたとえば有名な双子、おすぎとピーコを見ても判るとおり 彼らは全く同一の人格をしているわけではないし、全く同じ病気に かかる訳でもない。
二人に類似する点は多くあるだろうけど、顔の作りや性格だって どこか微妙に異なっている。 もちろん同じ人格が同じ環境にいたから、お互いに影響しあって そうなるんだ、という意見もあるかもしれない。
でも逆に言えば同じ遺伝子を持っていたとしても、それだけ 人は環境に左右される部分が大きく、まったく同じになるのは 難しいということだ。
再度、鉄腕アトムの話をすれば、交通事故で愛する子供を失って しまった天馬博士は息子そっくりのロボットを作り上げる。 でも、姿かたちがそっくりでも一向に身長の伸びないロボットに 対して、最後はお前は私の息子じゃない、とサーカスに 売り飛ばしてしまう。
全く同じでなくても、似てる誰かなら、果たして人は変わらぬ 愛情を注げるものなのだろうか。 むしろ似ている部分より異なる部分に対して、より激しい嫌悪 の感情をつのらせてしまうもののような気がするのだ。
そしてもう一つ、亡くした子供と全く同じ子供を生み出せたと しても、それは逆に亡くした子供との時間と思い出を、 なくしてしまうことになるんじゃないだろうか。
そして実はその時間こそが最も大切なもののような気がするのに。
ここからはただの冗談だけど、もしもクローン技術が確立された として親が子供に、もうお前なんかいらない、遺伝子だけ取って もう一度生み直してやる、とまるでTVゲームのリセットのような 事態が頻繁に起きる世の中になったら嫌だなあ。
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