今日は、映画「ボーンアイデンティティ」を見に行ったので、その 感想を書こうかな、と思ってたんだけど、深夜たまたまTVを つけっぱなしにしていたら、映画「恋のためらい・フランキー& ジョニー」 をやっていたので最後まで見入ってしまった。
原題名はシンプルに「フランキー&ジョニー」。 同じ名前の、有名なポップスがあるらしい。 この映画を見るのは実は2回目だが、個人的に結構好きな作品である。
主演はアルパチーノとミシェルファイファー。 そして監督は「プリティウーマン」など数々の作品で恋愛映画の達人 と言われている、ゲイリー・マーシャル。 大人による、大人のための少しほろ苦いラブストーリー。
アルパチーノといえば、「スカーフェイス」とか「ゴッドファーザー」 が有名だけど、個人的にはこういう恋愛映画に出てるアルパチーノの 方が大好きだったりする。 「シーオブラブ」とか「セントオブウーマン」とか。 寂しさを知っている大人の背中で語らせたら、個人的にはこの人が ナンバーワンだと思うのだ。
アルパチーノ扮する"ジョニー"は、刑務所帰り。刑務所で覚えた 料理の才能を生かし、ニューヨークの食堂というか、ファミレス?の コックとして就職する。 その腕前とイタリア人特有の陽気さから、彼はすぐにお店に馴染む。
だけど、部屋に帰り一人になってしまうと、その寂しさに耐えかねて 娼婦を買い、Hせずに"スプーンポジション"で添い寝することを 要求する。
ミシェルファイファー演じる"フランキー"はそのお店のウェイトレス。 ジョニーの事はちょっと気になるけど、だけど恋なんてもう沢山だと どこかあきらめている。
一人の寂しさを知っているから、人と寄り添おうとするジョニーと、 一人でいることは寂しいからこそ、その事を忘れて一人で生きて いこうとするフランキー。
この映画は、そんなさびしさを知っている大人の恋愛映画である。 人を恋しいと思うとき。それは自分が一人であると自覚するとき かもしれない。
人は一人でいるときに、一人であると自覚するのをつらいと思うのか、 または二人でいるときに一人であると自覚することをつらいと思うのか もしも人を恋しいと思う気持ちがなければ、人は一人でも生きて いけるのかもしれない。
と、こんな風に書くと、なんかただ物悲しいだけの映画のように 思えるかもしれない。 実際初めてこの映画を見たときは、なんて寂しい映画なんだろうと 思ったこともある。
「シーオブラブ」もそうなんだけど、NYという大都会を舞台にしている ことで、一人で生きていくことの寂しさ、切なさが増しているのだ。 でも、初めてこの作品を見たとき、まだ自分はそのさびしさの本当の 意味を知らなかったのかもしれない。
今回この映画を見て思うのは、 でもだからこそ恋愛をする上で、自分のさびしさを知っていることは 重要なんじゃないかな、という気がするのだ。 自分のさびしさがどんなものなのか、そしてそれとうまく付き合って いくにはどうすればいいのか。
フランキーのように、その事をあえて忘れるのも一つの方法だし、 そんなフランキーに対して、あくまで人と人が触れ合うことの大切さ を、飾らずに口説くジョニーの生き方も一つの方法である。
フランキーは、そんな風に自分の触れてほしくなかった内面にまで 関わろうとするジョニーに対して、自分がどうしたらいいのか、 わからなくなってしまう。
ジョニーならずとも、そんな風に取り乱すフランキーの姿は なんかほっとけない感じがしてしまう。 ミシェルファイファーは、大人の女性って感じだけど、その辺の 幼さも兼ね備えた演技がとてもうまいと思う。
この映画の終盤、ドビュッシーの月光の調べが二人を、そしてその街に 住む人々をやさしく包み込む。
何か特別のことがあったわけではなく、ごく当たり前の日常の世界の 恋愛を、ここまでうまく表現しているのが、すごいことだと思うのだ。 見終わって、本当の優しさとは何なのか、ちょっと考えてみたりした。 DVD買っちゃおうかな。ちょっと高いけど。
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