いきなりだけど藤木直人の役サイテー。
おそらく脚本家の野島伸司としては、不治の病に冒された 人間の心の弱さと、それを乗り越える純愛の物語を描きたい んだとは思うけど、それにしてもあんまりだと思う。
もともと人の心をシュミレートして、描こうとする脚本家や 作家はあまり好きではない。 個人的に自分の心でさえ、満足に扱いこなすことができないのが人間 だと思っているからかもしれない。
個人的に読書はすごく好きなんだけど、ある種のミステリ系が 苦手なのもおそらくは同じ理由である。
こころの生態系 (講談社+α新書)という本の中で、河合隼雄が こんなことを言っている(以下部分引用)。
【二十世紀を特徴づけた言葉は、「オペレーション」では なかったかと私は考えています。オペレーションとは「操作」の ことで、医学の世界では「手術」のことを指します。(略)
オペレートできるということは、こうすればこうなるという結果が はっきり出てくるということです。そして、望む結果に直接的に 結びつく知は、みんながほしがります。いち早くそういう知を 持った人が、それによって大きな利益を手にすることができる からです。】
【ところが、そうした傾向が頂点に達したところで、やっと反省 が起こってきました。それは、オペレーションの対極の概念と しての「エロス」を見直そうとする傾向と言ってもいいかと思います。
たとえば、私が誰かを好きになったとすると、そうした気持ちは、 なんとか操作しようと思っても、できるものではありません。 エロスほど自分でオペレートすることがむずかしいものはありません。
もちろん、そのために彼女にどう近づくかとか、どのように相手の 気を引くかというようなことはいろいろと考えるかもしれませんが、 一番の根本から突き動かしてくる情動というようなものは、どうする こともできません。】
【エロスは、このように理性ではなかなか処しきれない厄介なもの ですから、とても扱いにくい。それに対し、ロゴスの世界は、何ごと もきれいにオペレートできます。そこで、しだいにエロス抜きの社会 になってきたわけです(略)。
ところが、このごろになって、ロゴスだけで推進していくやり方では どうもうまくいかないのではないかということに人々が気づきはじめて います。エロスを抜きにして、何でもオペレーションだけでやっている と、しだいに破壊につながっていくからです(以下略)。】
ここで語られているエロスを、個人的に翻訳すると、人間本来の持つ 自然な欲求や本能って言葉になるかもしれない。
ちょっと引用が長すぎたかもしれないけれど、 どうせドラマを見るんだったら、エロスを感じさせてくれるドラマを 見たいものだと思う。
もちろん役者の技能もあるとは思うけど、人の心をオペレートした 作品の場合、感情移入が難しいので、どうしても役者さんが 表面的に演じてしまっているような印象があるのだ。
そして、恋でもエロスを抜きにして、オペレートだけで人の心を扱う 限りそれはやっぱりどこか薄っぺらいものになってしまうんだと思う。
野沢伸司にしても、彼が本当に描きたいのはロゴスを超えたエロスの 世界なんだろうと思うけど。
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