さてなんか時期を外した感もあるけど、丸投げについて考えて みようと思う。 きっかけは1月12日放送のサンデープロジェクトで、現場に こだわった2人の市長さんについての放送を見たことだった。
放送自体は、公共工事の談合入札を廃止して、完全競争の入札を実現し、 予算の削減を成功させた、横須賀市の市長と、 どこかは残念ながら忘れちゃったけれど、愛知県でお年寄りが気軽に 集まれる場所をつくり、それを民間のボランティアに任せることで、 やはり、市の職員の意識改革を実現させた市長の話だった。
その放送中で、丸投げする態度と、現場主義は正反対の姿勢である、 という発言があり、その言葉にうーむ、と考えさせられたわけだ。
さて、丸投げ。 昨年、小泉首相が道路公団改革やら、金融制度改革やらを その諮問委員に任せてしまい、その手法に対してマスコミやら 抵抗勢力から、批判を浴びていたことは記憶に新しい。
さて、ここで問題がひとつ。 丸投げすることって何が一番いけないことなんだろう?
小泉首相の、丸投げに対して、一番多かったと思われる批判は、 小泉首相が、責任をもったリーダーシップを発揮していない、という ものだったような気がする。
それに対する小泉首相の談話は、政治の責任は答申があがってきた 後の問題であり、その意見を専門家に聞くのは、なんら問題はない というものだった。
要するに今後もらった答申を、現実に政策化できるかどうかが、 一番の問題であって、難しいことは専門家に考えさせて何が悪いの? って意見のような気がする。 まあその割に道路公団の方では、今井委員長に色々とちょっかい出して いたような話もあるけれど。
確かに、行政の責任としては、よいと思われる政策を実現できるかが、 一番の問題であって、それ以前に民間人に聞くか、党の委員会に諮るか 官僚に政策を出させるか、は誰の意見を尊重するのか、という、政局 がらみの問題であるようにも思われる。
抵抗勢力と呼ばれるおっさんたちが、あれだけ声高にその丸投げ姿勢を 批判していたのは、要は自分たちや官僚の意見を無視されたことにも あるわけで。
自分たちの意見がそのまま通っていたら、別に何も言ってないだろう。
じゃあ、別に丸投げしててもいいんだろうか? いや、個人的には、次のような理由で安易に丸投げすることに対して 異論がある。
それは結局丸投げしている限り、丸投げした方はその問題に関心を 持たなくてもよくなってしまうから。
すなわち素人の私にはわからないけれど、とりあえず偉い方の言う通りに していればいいんでしょう、という態度になりがちなことである。 これのどこが問題なのか。 それは最近の医療の周辺を見てみるとよくわかる。
インフォームドコンセント、という言葉がある。 説明と同意。 つまり、医療を行う側は、医療を受ける側に対して、十分な説明をし、 受ける側の同意を得なければならない、という考え方。
この考えが出てきてもう10年くらいになると思うけど、この考えが 浸透したのは、最近の数多くの医療過誤によってだと思う。
すなわち、それまでのお医者さんと患者の関係って言うのは、病気に なったら、その治療法はお医者さんに任せっきり。丸投げだった。 以前取り上げた女子医大の記事のように、患者さんがうかつに質問 できない、雰囲気があったり。
その雰囲気が変わってきたのは、やはりこれだけ医療過誤が表ざたに なったため、患者さんもうかつに医者任せ、病院任せにできないという 意識の変化が起きたせいだと思う。 なんといっても、自分や家族の命がかかっているのだから。
でも、個人的にこうした風潮は逆にいいことだと思うし、医師の側でも 闇雲に丸投げされて責任をとらされたり、逆に信用されないことよりは そんな風に聞いてくれることを、歓迎しているような気もする。
よく、素人が口をはさむなんて、という言い方が横行する。 でも逆に言えば専門家は、素人にも分かりやすく説明できる人の方が 実は、有能であったりすることも多いような気がするのだ。
自分の経験で言っても、他人に伝えようとすることで、自分の理解が 深まってくるということは、よくあることだし。
丸投げすることの一番の問題点は、そんな風に実は丸投げされる側が 実は対話をすることで、更に理解や完成度が深まるチャンスを奪う事に あるんじゃないだろうか。
2年前くらいからコラボレーション、という言葉が目立ってきた。 でも丸投げという行為は、完成度の高いコラボレーションから、 もっとも遠いところにあるのかもしれない。
そして、実は丸投げという行為は、日常生活のさまざまな所で見られる ような気もするのだ。 たとえば、子育てを母親に丸投げしている父親や、その子供の教育を 学校や塾に丸投げしている両親など。
人は、自分の関心の届かない先にはどうしても、臆病になってしまう のかもしれない。 でも逆に関心をもち、素朴な疑問をぶつけることで変わっていくことも 沢山あると思うのだ。
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