今週はディズニーづいているのかもしれない。 TBSで、ピーターパンの映画の放送をする予定なのを新聞で 知り、録画して見てみる。 おそらくは、今月末劇場公開されるピーターパンの続編の為の プロモーションだろう。
さて、映画ピーターパン。見るのは本当に久しぶりだったりする。 ストーリーとか、キャラクターの画とかを、うっすらと覚えている 程度なので、おそらくは小さい頃に見たんだと思う。
放送は、二カ国語放送だったので、どうせだったら英語で見たれ、 と思い、英語版で挑戦。一応、ストーリーは知っているわけだし。 若干、聞き取りにくかったりはするんだけど、子供向けの作品 だから、英語もそんなに難しくはなかったし。
と言うことで、物心ついてからは初めてちゃんとピーターパンを 見たんだけど、ストーリー自体がおぼろげだったので、なんか デジャブを見ているような不思議な気分だった。
あ〜そうそう、ピーターパンの影はウェンディに縫ってもらった んだよなあ、とか。 すっかり子供心を忘れてしまっていたのかもしれない。
でも、この作品、少しも古くさくないのである。 50年近くも前の作品だというのに。
そして、何より素晴らしかったのは、飛行している時の動画の すばらしさ。 ピーターパンの飛び方の中に、ちゃんと重力が存在していて 説得力があるのだ。
確か映画ピーターパンは、ウォルトディズニーがその動きを リアルにするために、実際に子役に劇中と同じ動作をしてもらった フィルムをつくりそれに合わせて作画した、という話は聞いたこと がある。つまりは現代のTVゲームに多用されている、モーション キャプチャーの草分けみたいな事をやった訳だ。
でも、それだけであの浮遊感の説明はつかないような気がする。 おそらく、現代のモーションキャプチャーで忠実に役者の動きを 再現しても、あの軽さは生まれないような気がするのだ。
つまり、そこには50年前、ピーターパンを軽やかに飛行させよう とした、当時のアニメーター達のセンスと苦心の結果なんじゃない だろうか。 現代で言えば、宮崎駿監督作品の飛行シーンが有名だが、彼の作品の 飛行シーンが他の誰にも真似できないのと同じように。
一般にテクノロジーが進めば、出来ないことはなくなると 思われているような気がする。
例えば、映画の世界でも5年前くらいに革新的と言われたCG多用 の作品を、今見ても、大してすごいとは思わないかもしれない。 むしろ、過去の感動を上回ることができずにがっかりすることって よくあったりする。
でも、ピーターパンや宮崎監督の飛行シーンを、テクノロジーだけで 忠実に再現したとしても、そこにはどこか違和感が残ってしまう ような気がするのだ。
つまり、そこには職人的というか、その人にしか出せない技術や、 工夫があってこそ成り立つものもあるんじゃないかと。 これは何もアニメの世界に限ったことではなく。
自分を含めて、現代の人々はテクノロジーが進歩することで、便利さ 、快適さを受け取ることが出来てきたと思う。 でも、その標準的な便利さを受け取る一方で、実は特化した技術の すばらしさと言ったものが失われていっているような気もするのだ。
宮崎監督が引退したら、彼の飛行シーンを受け継ぐ人が果して 出てくるのか、わからないように。
そして、少なくとも20世紀後半の日本は、その特化していった技術 力によって繁栄してきたような気もする。
と、話が大きくなってしまったが、ピーターパンはそんな感じで 古くよきディスニー映画はやっぱり質が高かったって事を再認識 させてくれたわけである。
ただし、これを見た後で、今度公開されるピーターパンの続編は どうなんだろうという、杞憂かもしれない心配事を増やしてしまった ような気もする。 うーん、見たいような見たくないような、複雑な気分である
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