あきらめの悪さつながりって事ではないが、昨日、たまたま 「松本紳助」を見ていたら、島田紳助がこんなことを言っていた。
「不良の子供もっている親はな、決してあきらめたらいかんねん。 あきらめた途端、子供は、ああ、こいつはこれだけの愛やったんか、 と、覚めてしまうねん」
東京出身なので、下手な関西弁翻訳は勘弁してほしいが、大体の要旨は こんな感じである。
島田紳助は、こういうことを語りだしたら、右に出るものはいない。 自分の思っていることを、他人に伝える能力はとても高い芸人である。 もちろん突っ込みも人を笑わせることもうまくて、実は大好きな 芸人さんなのだ。
大学時代、好きな芸能人欄に、ずっと島田紳助と書き続けて、周りから ?とか思われてたが、まあそれはおいておくとして。
最近の風潮でいえば、親っていうのはものわかりがよくないといけない という、風潮である気がする。 子供のやることに対して、何でも理解を示してくれる、いい両親。
でも、そういう親っていうのは、下手をすると子供に対して無関心な 親と紙一重な存在になってしまうかもしれない。 また、常に子供にかまっている親って言うのは、その中にはもしかすると 自分自身が子供にかまってほしい寂しさの裏返しなんじゃないかって 気がする。
そしておそらくは、子供って言うのはそういう大人の思惑をするどく 理解しているような気もするのだ。
あくまで個人的な考えであるが、親って言うのは子供にとって、理不尽な 存在であっていいような気がする。 子供にとって、最初の社会の理不尽さを一番いい形で教えてあげられる のは、やっぱり親という存在であると思うのだ。
大体、子供なんて、自分の思い通りには育たないもんだろうし。
ただし、そこにはやっぱり愛情と言う支えがなければ、意味がないと思う。 親は、親である以上、決して子供に関してあきらめてはいけないのだと私は 思う。親子はすでに赤の他人である、という考え方もできるかもしれないが、 たとえ罪を犯したからとしても、その子供のことを許してやれるのは親しか いない気がするからだ。
昔、見た映画で、「トーチソングトリロジー」という映画があった。 10年以上前の映画で、大きなレンタルビデオ店だったらもしかすると まだあるかもしれない。
ストーリーは、決して美しくはないゲイの男性が、様々な愛に出会っていく という物語。元々はオフブロードウェイのミュージカル?演劇?だったのを 映画化した話。
主人公の母親にとって自分の息子がゲイであるというのは、絶対に 許せることではないので、会えばいつも喧嘩のしっぱなし。 なんとか、ゲイであることをやめ、普通の?生活をしてほしいと願っている。
そんな時、主人公の彼氏<超美系、がゲイ差別主義者たちに殺されて しまい主人公は途方にくれたところに母親が来て、主人公を ののしってしまう。ここのところは、出来れば映画でみてほしい、 泣ける場面になる。
そこで、主人公が母親に言ったセリフは、鴻上尚史著「恋愛王」(角川文庫) にも収録されている。うろ覚えで申し訳ないんだが、主人公の次のような セリフで、二人は和解をする。
「だから私は尊敬と愛以外は他人には求めない」
親子の愛って、頻繁に確認しあうものでもなく、時にどこかでのぞかせる くらいで丁度いいような感じがする。
かといって、自分が結婚するとか、すでに子供がいるとか、 そういう話ではないので、念のため。
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