いまさらかもしれないけれど、惜しい人を亡くした。 俳優、伊藤俊人さん。40歳の若さだった。
王様のレストランやお水の花道や、ショムニなどで 印象に残る、インパクトの強い脇役として、画面を 飾ってくれていた名俳優。
死因はクモ膜下出血。簡単な説明を加えるとすれば 脳と頭蓋骨の間には、隙間があり、そこは脳髄液っていう 透明の液体で満たされている。 スーパーで売っている豆腐のパックを思い浮かべてもらうと わかりやすいかもしれないけれど、 頭蓋骨がプラスチックのパックで、豆腐が脳みそだとすれば その間にある液体が脳髄液。そしてその隙間がクモ膜下腔。
クモ膜下出血って言うのは、脳を栄養する動脈が破裂して その隙間に血液が流れ込むことで脳の中の圧力が 上昇してしまい、脳が圧迫されたり栄養が回らなくなってしまう 状態を指す。
くも膜下出血は、伊藤さんのように若くても発症する事もあるし 予後も不良だったりすることも多い。 迅速な手術が行えれば、もちろん助かる例もあるし、実際 自分もそういう人たちのリハビリテーションをしたことも あるんだけど今回は、出血した場所も悪かったんじゃないだろうか。 クモ膜下出血の場合は本当に時間との勝負だったりするし。
個人的な知り合いでは、もちろんないけれど、 伊藤さんが亡くなって、もう画面や舞台で見られなく なってしまったのは、やっぱりさびしかったりする。
職業柄、様々な人と死別するのは慣れているはずなのに 直接知らない方の死に対して、なぜこんなに喪失感を 感じるんだろう。 特別なファンではないけれど(失礼)、もしも時間が許すのなら 告別式に行こうかと思ったほど。
三谷幸喜の劇団出身だと言うこともあって、三谷幸喜自身が 追悼文を発表している。 そのままはりつけていいのかどうか、考えたが、友人が故人を 悼む文章として、最高の文章だと思うのであえてそのまま 引用したことで、個人的なお悔やみとしたい。 伊藤俊人さんのご冥福を、心よりお祈りいたします。
伊藤俊人君のこと
役者としての彼は、機敏な動きと、切れのいいせりふまわしで、 常に舞台を引き締めてくれました。頭の回転が速く、 舞台上で誰かがせりふを忘れたり、思わぬアクシデントが起きた時、 助け舟を出してくれるのは、いつも彼でした。劇団員たちにとっては 頼れる兄貴分。 そして僕にとっても、もっとも信頼できる俳優でした。劇団が休みに 入ってからも、僕のかかわったドラマや舞台にはなくてはならない 存在でした。
彼が尊敬する人物はフレッド・アステア。わざわざアステアの自宅まで 行って庭石をくすねてきたことがあったくらいです。 長年にわたって、彼はタップダンスのレッスンを続けていました。 彼のリズミカルで軽快な動きは、タップダンスで培われたものだと、 僕は思ってます。 どんなに舞台の上を走り回っても、そよ風に舞う羽毛のように、舞台の 上を動ける俳優でした。
(新聞報道で、彼のことを『名脇役』としたものがありました。) この世に『脇役』という役はあっても、『脇役俳優』という職業は ありません。 伊藤俊人は『脇役』もできる、優れた俳優でした。
これから歳を重ね、軽さの中に、哀しみやペーソスが加わった、 味のある役者になるはずの男でした。 哀愁はあっても、決して暗くはならない、日本では珍しいタイプの 俳優になるはずの男でした。そして50を過ぎたあたりで、代表作と なるような作品に出会うはずの男でした。 人生って捨てたもんじゃないなって思わせる、地味だけどあったかい 映画の主人公を演じるはずの男でした。
残念でなりません。
三谷幸喜
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