2008年11月30日(日) |
081130_ネットにおける生涯学習 |
ネットが集合知を生み出すための、参加のマナーについてお話しします。
2チャンネルなどのネット上であるテーマについて意見交換をしていると、ときどき気軽に「ねえねえ、どうしてか教えて」と簡単に経緯をしろうとする書き込みがあります。
こうした発言に対しては、すぐに回りから「ググレカス」と非難されます。
「ググる」というのは、ネットの検索サービスであるグーグル(google)を使ってキーワードを検索して調べることの動詞として使われます。
「ググれ」となると「グーグルで自分で調べろ」という意味になり、カスは文字通りの悪口。だから「ググレカス」とは、強い非難ではないけれど、「グーグルで検索して自分で調べろ、このカス!」という意味になります。 そしてこれもまたネットを使う上での生涯学習の一つにほかなりません。 ネット上には非常に要領よくテーマに関する経緯をまとめてくれる能力を持った親切な人もいます。適切なキーワードで検索してまともに探せば事前の予習が出来る資料は絶対に探せるようになっているはずなのです。
だからそれらの資料と共に、ネット上の発言を少しだけ真面目に追いかければ話題についてこれるだけの知識レベルになるはずなのです。
しかしそれを怠っていながら答えだけを求めようとする者の発言に対しては厳しい指導が待っています。(分からないなら、発言する前にまず十分に読み込んで勉強しておけよな)と言うわけです。
ネットとは言え、勉強の基本的な仕方は小学校と全く変わりません。問題について予習をして自分ならどう考えるかをまとめておいて、必要に応じて発言をして意見交換をしながら自分の考えをさらに発展させる。そして終わったら復習をして知識を自分のものにする…。 まさに、(予習)→(意見発表)→(討論)→(まとめ)→(復習)のサイクルです。
小学校で身につけておくべき基本的な学習態度が、大人になってからのネットを使った社会生活でも全くそのまま通用することがよく分かりますね。
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生涯学習は、この学習態度で、世の中の様々な問題に対する問題に関心を持ちながら、常に自分のこととして「自分ならどう考えるか」を考える姿勢を持ち続けよう、という理念です。
一人一人が誰かから何かを「してもらうばかり」なのではなく、「してあげる」側に回ろうではないか、という考え方は報徳精神でいう「推譲」そのものです。常に自分の余剰を他人に差しだそうというのです。
相田みつをさんは、「うばい合うと 足らないけれど わけ合うと あまっちゃうんだなあ」 (出典:『生きていてよかった』)と書きましたが、分け合っても余らない、むしろ「差し出すと余る」と言うべきでしょう。
みんなが知恵を、汗を、時間を、お金を、応援の気持ちを差し出せば、世の中にはそれらが充ち満ちてくるはずです。 ネットも貪るだけではなく、与える側になりたいものですね。 {/face_fight/}
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【おまけ】 ネット上の動画を見ていたところ、先の党首討論を受けて、鳩山幹事長が演説で「どう見ても小沢の勝ちだ。自分が仕掛けた党首討論で、 むしろ返り血を浴びたなと」と述べた、とありました。
麻生さんが返り血を浴びたと言うことは、切られたのはどちら…?思わず吹き出してしまいました。こういうのは失言とは言わないのですね。
http://www.fujitv.co.jp/safe/red_mpl/common/frame/fnnFrame.cgi?MD=n&URL=http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00144990.html
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